「出野五十鈴」   作:わさび23





茶のみ友達、というわりには遠いところからよく訪ねてくる。
お祖母さまにとってそれがうれしいのは確かだろう。
連絡が来る日など「あの黒猫めが襲来しますよ」と言いつつも里芋の煮っ転がしなんかを作っていたりする。
私にとって彼女は小母さんのようなものだと思っている。いや、小父さんだろうか。
普段の距離感からして身内には入らないと思う。
あまり教育によくないことばかり教えてもらったような気はするが、基本的に面倒見が良かったので子供でも退屈させないように気配りをしていたと思う。
お小遣いを取られたり、取っておきのデザートの類を勝手に食べられたのには流石にイラッときたのだがまぁ置いといて。

どこぞの業界用語では新造(遊女の付き人)をやってた化け猫の話をしようと思う。
名を出野五十鈴(いでのいすず)と言う。
お祖母さまの友人で、ちょっとばかり手癖と口が悪いし、一体全体お祖母さまとどういう経緯があったのかといぶかしんだぐらいだが変なところで義理堅い。
埋め合わせは必ずする。
タイミングを見計らって我が家が暇なときに来る。
悪印象は最初だけで、我欲に忠実な割には反省をきちんとできる。
化生であることをしょっちゅう自虐するような発言をしているところからすると相応以上に苦労していたようだ。
化けるのが得意で耳尾をめったに出さない。
それでも割かし早い時期に正体がバレたせいか遊女になれず、それからずっと付き人のまま。
昔話をイヤでも聞かせられたおかげでこういう簡単な略歴まで言えるようになってしまった。

私よりも小さな背丈をして中身が老獪で、何故か私を「恵理坊や」と呼ぶのは彼女なりの挨拶だと納得することにしている。
私が生まれる前から続いているという交友に茶々を差すわけではないが・・・なんというか、やっぱり。



「ん?ああ、昔から京の都は有名な観光名所でさぁ。外人もチンケな悪党も、今も昔もけっこうくるんだよぉ。ひったくりの類をあっさり撃退しちゃった八公が今度は喝采する連中から急いで逃げようとするのは面白かったかなぁ」
酒気を漂わせながら朱色の指した顔で言う。聞いてないことを私に向けて言う。
どう見ても飲酒年齢を下回る格好なのがいやだ。
「そんなこと言ってもさぁ、あちきの楽しみはハチ公と猥談したり恵理坊やをいじることなのさぁ」
頭を撫でて髪をくしゃくしゃにしようとしたのでその手を払う。
にゃははははと笑って頬を掻く。
「いいですか、恵理に教育によくないことを教えたら」
「うにゃ、分かってるよ、八公」
ずびずびとだらしなく清酒をすするのに八房は眉をひそめる。
「だいたい、さっきからその八公というのは縁起が悪いのでやめてほしいといったではありませんか」
「どこが違うのよさ。あちきにゃ同類に見える」
おそらく、未だ還らぬ主人を待つ。というところに掛けているのだろう。
最終的に某所の博物館で剥製となることを考えると。
これは単なるいやみだった。
「私には孫娘がいますからね。貴女とは違うのです」
胸を張ってフフンとふんぞり返る八房は誇らしげであった。
「わざわざ遠路はるばる、しょーもないことを言いに来たあなたこそ剥製になる末路を辿れば良いのです」
「あちきは死んでもなお人間の格好をしてみせるのでありんす。剥製になどならないのでありんす」
こういう憎まれ口を叩く相手というのは八房の広い交友関係の中でもめったにいない。
戦闘経験値が非常に高く、そんじょそこらの妖怪より明らかに強い八房を好んでからかう者はまず、「八房より強い者」しかいない。
耳なし尾なしのきちんとした人化が出来る以外に特色のない化け猫である五十鈴は命知らずというかひねくれ者の部類である。
何の悪感情もなく八房がそれに応じているところからすると根は良い猫なのだろう。
基本的に良心を持たない相手とは付き合わないのが彼女の生活だから。
人ではなく、猫というのが味噌。
幼い娘の姿をとった上で自分の祖母と猥談したりゴシップや自分の話をしていると思うと色々と複雑なものがあるのだが・・・恵理は用事があってこの酒臭い場所にとどまっていた。
焔木家にくるまえから既に「ちょっと多いぐらいの量」を頂いてきたらしく、酒臭がするのには辟易した。
ついでに適度にタバコを(キセルで)呑むこの猫。
油をなめるより厄介なことをしているのは違いない。
「にゃははははは」
綺麗な短髪の黒髪が変な笑い声と共に揺れる。
アルコールが効いてきたのか顔の産毛が少し濃くなって猫ヒゲが生えてきた。
気のせいか頭の上の寝癖がピクリと動いた。
五十鈴の変化は完璧ではないようだ。特に焔木家で酒を飲む場合は。
「ん?ところで八公」
「なんですか」
「あんたは猫又と化け猫の区別は分かるかね?」
「尾の数でしょう?」
「どうやったら裂けると思う?」
途端に八房の顔が赤みを帯びてきて最後には茹蛸もかくやというほどの色味になった。
にやにやと笑う五十鈴。
私にはよくわからないがこれは二人の間では定番のやり取りなのだろう。
ぷるぷると震えて、ボソッと「五十鈴、覚えてなさい」とつぶやく我が祖母。
我が祖母ながら恐ろしい3段構えだった。三間の合間に戦闘態勢に移行して、なんとかそれを堪えていた。
「ごめんなすってよ八公。・・・ぶふっ」
飲みかけのものを噴出して何を思い出したのか腹を抱えて笑い出す。
今自分が何をしたか分かっているのかも怪しいが、おそらく全ては酒精による行いだろうと強引に納得しておいた。
私は私でいい加減飽きてくれないかと思いつつ甘酒を飲む。モチロン五十鈴と八房が飲んでいる清酒とは違う。
手土産としてこれを持参してくるだけなら五十鈴も良い人で済んでいたのに。
お子様向けとの看板に偽りなく酒精は限りなくゼロに近く、美味であると私の舌にも感ぜられる。
ざらつかず、甘すぎず、べとつかない。
どこの産品かは知らないが良いものであることは確か。
無加糖でこの甘さは信じられない。
年長者を敬うにたる最大の理由はこれに尽きるとすら思えるほどに。
例えば、この化け猫が阿呆な話題の振り方をして自身の身の危険を察知できていないように。
アルコールには幻惑の力があるらしい。



「もうっ、あなたのそういうところは最低ですっ」
もう自棄だと言わんばかりにぐいっとあおる八房。




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