「いつかの思い出」   作:わさび23




母から獣耳は受け継いでいないが尻尾の方は気になる。
常人とは異なる特徴というのもあるが、こういう部分を普段から衆目にさらすのは避けるべきであると恵理は考えた。
たとえ授業とはいえ、皆と同じ格好をすることをどこの誰が定めたかは知らないが、馬鹿者に尻尾をつかまれる感覚は余人にはわかるまい。体育、特に水練というものは意味があるのか。
彼女の不愉快感からなる怒りはあの時沸騰しそうになったが、そこではたと思い直しやめた。
もとより退屈な時間を無理をして過ごす必要はないのだ。
このような事例がまた再び起きない理由もないだろうと教師に訴えた。
教師はそれを認めた。

焔木のところの娘という理由で見学が認められたのはむしろ当然だった。
祖母の年齢と教師歴は伊達ではない。毎年この小学校の校長から年賀状が届いているのを知っているし、講演依頼というやつで、自分の祖母は偉い人だということを学んでいた恵理は打算的にそれを活用したことになる。
大体が自分より程度の低い相手としか見えない同級生というものに恵理はなんの感慨も抱けず、適度に自分の好きなものに没頭できる時間を求めた。
それすなわち、刀剣鑑賞だ。
小学生の女児には奇怪な趣味かもしれない。しかし、彼女は幼くして既に刃に惹かれ、素直に美しいと思えるようになっていた。
いつも手放さない母の守り刀。それをどうしても触ってみたくて、譲ってほしくて、恵理は何度も頼み込んだがその度にはねのけられた。
祖母の八房はこの時は絶対に母の味方をして恵理をしかりつける。
「これはあなたのお母さんにこそ必要なものなのよ」と。
どういう理由なのかよく説明してくれないままに、母が怒り、祖母も一緒に戒めようとする。
恵理にはどうしても納得できなかった。
だから母の村雨が風邪をひいている今日こそ、この機会を活かせるだろうと思い実行へと移したのだった。

体育の見学というのは暇つぶしの道具さえあれば至極快適で、目立たない日蔭をキープできればなおよい。
この前は本を読んでいたが誰にも何も言われなかった。
なんでもこなす彼女の能力は周知のとおりである。嘘が通用しない聡明な子ではなく、冷淡で厳しい子とみられてもそれは変わりはない。
天才とは孤独なものだろうが・・・とぼやいていた教師の雑談を聞いてしまったこともあるが特に何も感じなかった。
今の恵理には家宝のきらめきが何よりも代えがたいものなのだから。

物陰に隠しておいた刀を取り出して砂を払う。
キラキラした鞘はうっすらと日の光を跳ね返しているようで綺麗だ。
若干緑色を帯びているのが特に良い。
技巧を尽くした技術が施され、ガラスでも鉄でもない不思議なものによる美しさだろう、と判断した。
刀身は滑らかな白。
スッと柄を引けば包丁や鉄骨とは違う色合いが出てきたことに驚き、触ってみてその滑らかさに驚く。
顔を映さない刀というのに不思議と違和感を覚えない。
柄に結わえつけられている縒り合された紐はいじっているとなんだか心地よい手触り。ふさふさだがずいぶんと年季が入ったもののようだった。
子供にも持ちやすい、二の腕に満たない長さの刀身は自分のためにあつらえられたのではなかろうかと思えた。
普段、人には見せないような笑みが浮かんだ。
子供にはよくありがちなことだが、刀やそれに類する棒のようなものを振るってみたくなる。
恵理もその例にもれず試し切りをしてみたいと思った。
やる気。刃は突然、きしむような音を立てて倍の大きさになった。
刀身も重さも。膨れ上がるように。
恵理が先ほどまで可愛いと思っていたものは、彼女が抱えきれない重さになって地面に降りようとした。ずしんと音が立てて。
困惑し、何が起こったか分からないまま佇むしかなかった。
予想していなかったことが起きてしまい、これはひょっとしたらやばいことではなかろうかと考えつくまでに時間がかかった。
母が泣き止まず、祖母が今度こそ雷を落とす。
学校での評価が下がる=いやな目で見られ、この静かな時間を二度と堪能できない。
恵理は呆然としていた。

その時、普段とは違う心地でいた彼女は近づいてくる物音に気が付かなかった。
ちょうど人影が映り、誰かがもうそばにいると気がついたころには右手に大きな刃を提げて、左手に合わない鞘を持ったままだった。
「恵理ちゃん、先生が呼んでる」
後ろを振り向けば自分と同じ服装をして、不思議そうな顔でこちらを見ている女児がいた。
あぁ、佐藤といったっけ。
恵理は笑みを困惑したままの表情を戻せず、相手と合ってしまった視線を逸らせなかった。
佐藤といった女児もまた、いったいどういうことなのか分からず困惑している風だった。
「なにしてるの?」
あの、いや、これは・・・といった言葉が口のあたりで渋滞を起こしてますますパニックに陥る。
そんな恵理をよそ目に佐藤は先生を呼びに戻ろうとしたのか踵を返して戻ろうとする。
慌てて引き留めようとする。
音を立てて地面に落ちた刃は大きいままだ。
「ね、ねえ待って」
肩をつかまれた佐藤は振り向く。
「これ、どうしよう?」
お母さんので、勝手に持ってきたらこうなって、戻し方がわからなくて、このままだと本当に怒られちゃうかもしれない、どうしよう。
落着きを少しずつ取戻しやっと全文を伝え終えたころに、うつむいていた佐藤はうなずいて「いいよ」とうなずいた。
あっさり承諾されたことが信じられないまま恵理は問題の刀の柄を差し出す。
「なにがいけないの?」
「鞘に収まらないの」
「なんでこうなったの?」
「わかんない」
うーん、と柄を見たまま首をひねっていた佐藤はえい、と刀身をたたいて戻りなさいと命令してみた。
しかし、効果はなかった。
「恵理ちゃんがやってみたら?」
おとなしく従ってみたがやはり効果はない。
どうしよう、とつぶやいたころに新たに足音が響く。
おーい、という声は間違いなく教師のものだ。
なぜか佐藤まで飛び上がり、急いで刀身をたたく。
刻一刻と近づいてきていることがわかる足音がやむまでになんとかしないといけない。
焦って焦って、焦って恵理は怒りを交えて叫んでしまった。
「戻れ!!!」



10秒後。
「なにやってたんだ、お前ら?」
不審げな教師の目には愛想笑いを浮かべている2人の姿しか映らなかった。
恵理の背後に隠してある刀はきちんと鞘に収まっているが、見られるわけにはいかない。
いいえ、ちょっと・・・
ええ、なんでもないです。
どうして佐藤が合わせてくれるのかは分からないが恵理はなんとかこのままやり過ごせればいいと思った。
頭をぽりぽりかいた教師はほかの生徒たちが呼んでいる声に今行くとだけ応えた。
「悪いことじゃないんだよな?」
2人は勢いよくうなずいた。
「そうか」
のしのしと教師が歩み去って行った後に安堵の溜息と共に崩れ落ちた2人。
恵理は急いで刀を元の物陰に隠した。
あとでちゃんと母に返そうと思った。
冷めやらぬ不安からつい両手を合わせていたところで笑い声が聞こえて、振り向けば佐藤だった。
恵理の睨みつけるような視線に臆することなく言う。
「そんな顔するんだ」
「悪い?」
「ぜんぜん」
ただ、面白かったなぁ。と余計な一言を付け加えて佐藤は戻ろうとする。
あの、と。恵理はまた呼び止めた。
「人に教えたりしないよ」
「違う」
佐藤はなんで・・・と聞こうとしてやめた。
「佐藤、さん、ってそんな人だったんだ」
「秋保ちゃん、って呼んで?わたしも恵理ちゃんって呼んでるでしょ?」
言葉につまって仕方なくうなずく。
裁量権は向こうにゆだねられているきがして、仕方なく。
恵理はなんだか負けたような気分になった。

放課後、恵理は隠しておいた刀を回収して早く帰ろうとしていたところで佐藤と鉢合わせした。
「一緒に帰らない?」
にんまりと浮かべた笑みに何か得体のしれぬ悪寒を感じて彼女の申し出は断れなかった。
話すことはなく、誰に聞かれても差し支えのない話題などなく、共犯者という微妙なつながりしかないはずの彼女とは以後、10年近く続くつきあいになるとは予想もしていなかった。
家はすぐ隣同士だったし、家宝を持ち出した恵理を待ち構えていた母の村雨を、佐藤と佐藤の母がなだめてくれたし、おかげで恩が増えた。
以降、お互い妙に気の合うところがあったらしく、よく声をかける。
たまに良い笑顔でひそひそと名前を呼ばれると嫌な気にもなるが、悪い気はしなかった。

秋保、とだけ呼ぶと、ちゃんづけにしなさいと訂正してくるのは2人の間で通じる挨拶のようなものとなり、その度に秋保が笑うのを見て恵理も少しだけつられて笑う。
こういうことを少し思い出すとき、ひょっとして秋保も只者ではないのではと思うときがある。
本人に話してみたところすぐに否定されたが退屈はだいぶまぎれたので良しとした。
ところで。母の、村雨の守り刀はあきらめたが、刀剣鑑賞の楽しみが失せたわけではない。時折カビ臭い蔵を漁って銀色の光芒を眺めている姿が焔木邸にあったりする。
秋保はよくそこを指摘して茶化す。頭はいいのに。と。
恵理は苦い顔をする。あれは不意打ちだった。と。
そしてまた笑った。




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