「衆縁、泡沫異聞「怪異あらまし、猫又異聞」」 作:(腹)黒猫 猫又異聞・序 ―夕暮れの駅舎に荻の風を聞き― 時世は遡り、歴史の薫りは漂ふ。 いまだ、江戸の闇をここらそこらに残しながら、「トウケイ」がその名を「トウキョウ」と変えてはや半世紀あまりが過ぎる。 帝都、東京は著しい文化の繁栄と文明の発展を遂げ、成していく。 しかし、そんな中で妖怪たちは次々と住処を追われる。 繁栄を象徴する灯火に歓喜する群衆の姿は、妖怪にとって畏怖すべきものに見えたのかも知れない。 妖が人を喰らい、或は悪戯し、人が妖を退治(こらし)め、或は殺す。 何時しか、それは変わり果て――時代が妖そのものを喰らうようになっていた。 「喰らう」と言っても何もそのままの意味ではなかったが、この表現はある意味で間違ってはいなかっただろう。 しかし妖もそこで諦める訳にはいかない。付け入る隙あらば、人の傍らに存在するのだ。 さてはて、その時代の中に一人の人間がいた。 何やらどでかい仕事をこなす役、と言えば聞こえはいいが、本当は昔の仕来たりに束縛されるだけの、人間だった。 無論、男である。名は荻野(おぎの)。 彼の邸宅はまさに時代のそれを象徴する近代的で、華やかなものであった。 だが、そんな豪奢な屋敷には似つかわしい不気味な出来事が、毎夜のように起こり、荻野を苦しめていた。 「おお・・・・おお・・・・怨々々々々・・・・」 今宵も、その妖は現れた。 寝床――ベッドの上に横たえた荻野の身体にのしかかり、今にも首に手をかけようとしていた。 ついに、妖が動き出した。 ついに、手をかけようと、その両手を伸ばしてきたのだ。首に。 だが、荻野も毎夜、毎夜とただ黙って脅されるほど大人しくはない。 ましてや今にも命をとられそうだと言うのに、 「そこまでだアヤカシ風情ィ!」 その場に飛び込んできたのは、荻野に雇われた壮年の山伏・門左衛門(かどざえもん)である。 一見すると、歴史文献に出てくるような、まるで天狗のような顔をしているが、れっきとした人間であり、山伏姿の法力僧である。 すると、妖は慌てて荻野の身体の上から飛び退く。次に、その場所を三枚の札が飛んできた。結界だ。 「おのれぇ…!雇われ者か!?」 妖が悪態をつく。 すとん、と一回転。 どろん、と変化。 その素早さたるや、雇われの山伏であり、実力の高い門左衛門すら目で追うのがやっとであったほどだ。 おかっぱ頭で黒髪。和装の少女に姿をとり、猫のすばしっこさをそのままに窓へ、逃走をはかる。 「ネコマタであったか!」 「ふんっ」 「むっ、させぬ!」 門左衛門が呶鳴った。 元より色香で惑わせたり、その姿で躊躇を誘うのが目的ではない。 そんな目的があったとしても、当の門左衛門には一切合切通用しないのは目に見えていた。 背後から門左衛門の放つ札や楔やらが飛んでくる。 怒ッ! と、一撃。 門左衛門の放った、先の尖った錫杖が脇腹に突き刺さった。 篭められた霊気が体内に染み込みひどく痛み、怯んだが、膝をつくことはなく、ネコマタはそこかしこにも攻撃を受けつつ窓をぶち破り、外に飛び出した。 二階からだ。着地に失敗し、「ぐっ」と唸って肩から地面に激突。 が、すぐに立ち上がりよろめきながらも、夜の闇の中へと駆けて行く。 「ぬぅ!仕留め損なったか。しかし、逃がしは――」 門左衛門は逃げて行くネコマタを追おうと窓際に足をかける。 「いえ、門左衛門殿。深追いは無用でございます」 と、荻野。 門左衛門が追おうとするのを制止する。 荻野の、その容顔に浮かんだ表情は複雑。 彼は妖(ネコマタ)が毎夜、この屋敷を脅しに来ることに心当たりがあったからだ。 だが確信までは至らなかった。 しかし、今宵ハッキリとその正体を見たとき、目の前で少女の姿になったとき、彼はそれを見て驚愕し、同時に青ざめていた。 そして確信に至ったのだ。 複雑な表情のまま、頭を抱える荻野を見やる門左衛門を尻目に、 「おぉ…あれはまさしく、枸杞御嬢様……」 と、呟いた。 * * * * * 朝はまだ遠く、夜は長い。 人間――少女の姿のまま逃げたネコマタ――枸杞(くこ)は、雇われの山伏・門左衛門に喰らった札や楔、特に深く刺さった錫杖を、痛みに顔を歪めながらも引き抜いた。 しかしそこで力尽きるようなタマではない。 夜、月明かりに星明かりに照らされる道を這うように歩いている。街灯は、ここにはまだなかった。 「おのれ……おのれ荻野の奴め…必ず、必ずや、必ずや…御嬢様の仇を……仇を…とってやる……」 と、恨めしそうに――何度も、何度も――呟きながら、そこでついに力尽き、バタリと倒れ込んだ。 倒れ込んだ枸杞は変化を維持する力も底を尽き、そのまま猫の姿に戻ってしまった。 「おやおや…」 ふと、その場に一人の男が歩み寄ってきた。 男は和洋折衷の服装は――明治時代のような服装で、羽織袴姿にインバネス、山高帽子にステッキというこの時代にしてはまるで、どこか取り残されたような雰囲気を持っていた。 「これはまた、ネコマタを拾うことになるなんて、時代が変わっている証拠だなぁ」 と、呑気に言うや、枸杞に触れ、そぉっと抱き上げる。 山高帽子に隠されていてわかり難いが、男の髪は白色だった。ついでに肌も。アルビノである。 月明かり星明かりに照らされたアルビノの男は長身ではあるが、どこか女々しい雰囲気をも持ち合わせているのは、身体がやけに細いからであろう。 男は、思惑あり気にも慈愛の満ちた微笑みを浮かべると、枸杞を抱き上げたまま歩を進め、闇の中へと消えて行った。 この道に、街灯がたったのはそれから二ヵ月後のことである。 時世はまだ、江戸の闇をここそこに色濃く残していた時代の御話。 * * * * * 時は現代に戻る。そこに、二人の姿があった。 場所は月見食堂と呼ばれる場所。その一席。テーブルの上には空になった皿が数十枚。これから空になる皿が数十枚。 水の注がれたコップも、ジュースの注がれたコップも今は空で、またこれから注ぐのであろう。 ただ、とにかくテーブルの上に置かれた料理は、次々とその少女の胃の中へと落とされていった。 「あ〜…そろそろ……」 アルビノの男が目の前に座り、次々と料理を口に運ぶ少女に何かを言おうとする。 少女は猫のような目付きでその男をきっと睨んだ。 フォークの先端を突き刺すような鋭い眼光で男を無言のうちに制すると、少女はまた食事を再開する。 少女は黒い服だ。しかも尾が生えている。耳が生えている。妖怪だろう。 しかし、男のほうはまったく現代に似つかわしくなかった。 まるで明治時代の人間が着ていた服装なのだ。特に入店した際の山高帽子が目立った。 「注文!」 と、先程の料理を平らげた少女が、すぐさま手を挙げる。 「プリン五つ!かき氷三つを頼みたい!」 とんだ発言、注文である! あれほど喰らっておいてまだ喰うのだ。 しかも、御丁寧にデザートの類いときたが、あからさまに数がおかしい。 他にも種類があるはずなのに…。 だがこの考えは間違っていた。 この後、少女はプリン五つとかき氷三つを平らげると、また、すかさず別のデザートを注文したからだ。 アルビノの男は、心の底から願った。 どうか、金額が足りますように、と。 そして、待ち人が早く来ますように、と。 かくして、男の願いは届いたか、食堂の扉が開いた。 次回を待て! 目次へ戻る |