「夢見る人」   作:(腹)黒猫





/銀鱗亭=青空教室


「なんとまあ、随分と厄介<カオス>な状況を作ってくれたもんですよ」

優男の風情たる6(シス)・クードは、困ったように本気で呆れた顔で溜め息を吐いた。

「だが、中々似合ってるじゃないか」

子供たちに囲まれたハーモの声が、その騒然(ざわざわ)した喧騒をすり抜けて届いた。
その言葉を聞いて、シス・クードは二度目の溜め息を吐いた。

銀鱗亭の給仕服というのは、女物一式である。
男でさえも、接客を任せられた瞬間から、それを着なければならなかったのだ。

「しようがないにせよ、これでも一応、警備や防衛担当なんですがね」
「『あいつが一番暇で、非番が多いから』とアルモニカから聞いてね」
「なるほど、って、いやいやいや、確かに影は薄いですが・・・・」
「それともあれか、ゼンガーと一緒の方が良かったかな?」
「マザコンじゃああるまいし、そんなことはないんですがね。と言うか」
「うん?」
「貴女は面目が無さ過ぎるんですよ」

シス・クードのその言葉に、ハーモは思わず噴き出した。


/銀鱗亭=食堂


宿泊者であろう者たちや、甲冑を身に付けたままの兵士たちが、陽も沈まぬうちから酒杯を手に手に、陽気にどんちゃんと騒いでいた。
そのテーブルの上には、数人分の酒瓶と料理がある。
ゼンガーが次の料理を持ってきた時には既に、そこにいた全員はできあがっていた。
国や城、所属していた部隊やギルドにある矛盾や不満をあげつらっておちょくっていた。
そこでゼンガーのような女性が登場すれば、いっそう盛んに笑い声をあげ、下品な話題を振るうのであった。
当のゼンガーは戸惑いながらも素早く空になった皿や容器を下げて、堪らず食堂を後にした。


/銀鱗亭=青空教室


食堂を抜けたゼンガーは、ふと耳に届いた音色に惹かれて、ふらふらと歩いていた。
ふいに、角を曲がると、そこには給仕服姿で子供たちから逃れるようにしてシス・クードが歩いてきていた。

『あのー・・・・シスさん?』
「ああ、これはこれはゼンガー、いいところできてくれましたね。バトンタッチです。僕には此処は荷が重過ぎるんですよ」
『え、あの、その格好』
「聞かないで下さい聞かないで下さい」

一方的に話を遮るように、シス・クードはつかつかと歩み去っていった。やけに歩調が早かったのは気のせいだろう。
暫く佇んでいると、彼の後を追ってきたであろう子供たちに色々と引っ張られていることに気が付き、慌てて対応した。
最初は、喋れないことが引っ掛かり、中々馴染めなかったが、そこが子供の凄いところで、すぐにそれに慣れてしまったようで、
ゼンガーよりも先に、ゼンガーの接し方を編み出していた。
彼女もその様子を察したようで、安心したらしく、子供たちと戯れることに専念していた。

「おや、君は」

ふいに、背後から聞こえた声に驚いて、ゼンガーは思わず飛び上がりそうになった。
そうして振り向けば、そこにハーモが佇んでいた。
どうやら子供たちに連れられて、青空教室に来ていたのだと悟った。

『あの、お邪魔してます』

些か間の抜けた言霊で、返答した。
その様子を見てか、ハーモがにっこりと微笑んでから何事かを告げ、手招いた。
ただ、何と言われたのか、何故かゼンガーには聞き取れなかった。
とりあえず手招きされるままに子供たちに引っ張れながらついていく。

(・・・・・何故でしょう?)

“音”ははっきりと聞こえる。
しかし、“声”がまったく聞き取れないのだ。
それを理解した瞬間、ぞわっとした冷たい感覚がゼンガーを襲った。

「・・・ー・・・・ファーレンダー?」
『は、はい!大丈夫です』
「・・・そうか?」
『イ、イエスユーキャン!』
「何を言ってるんだ・・・・」
『すみません』
「謝らなくてもいいのだが」

そこでふと、はじめて子供たちの自分に向けられた目が変わっていることに気が付いた。

『えっと』 「歌ってくれるだけいいんだ」
『あ、そうでした・・・・よね』

実際、今の今まで声が認識できてませんでしたなどと言えるはずもなかった。
ただ、できるだけその気持ちを悟らぬようその内を閉ざす事に専念した。

『その、皆さん、私が一度歌うので、その後で皆で歌ってみましょう』

言霊の擬似魔法に反応し、設置された黒板に白い粉が這い、文字を描いていく。
子供たちの殆どはきっと「喋れないのにどうやって歌うんだろう?」と思っているに違いなかった。
そんな無垢で純粋な好奇の目に晒される中、ゼンガーはすうっと大きく、空気を吸い込んだ。
肺が空気で満たされる感覚を味わいながら、そっと目を瞑り――口を開いた。


Lin...


空気中が、連鎖して震えた。
静かなうねりをもってそれは、彼女の身体から奏でられた。
驚くほど、それは想像を絶する美しさであり、その歌声の中には、何か動くものがあった。
目に見えるほどはっきりしたものではないが、しかし確かに、それらはゼンガーの歌声に導かれるように、自らを形を崩し整えながら現れようとしていた。
それらは例えるなら、木片や鉄や鉱石などの材質であったり、誰かが零した亜人の鱗であったり、服のほつれた糸であったり、おぼろに煌く魔力の燐光であったりした。
立てかけられた剣も盾も、それら全てが共鳴しているようでもあった。
ハーモ自身も同じように、肌や髪にさざやきを感じていた。


Lin...


やがて歌が終わり、静寂から深い静寂が消えていった。
しんと静まりかえった青空教室には、疲れたようにふうっと吐息するゼンガーの姿が目立った。

「ありがとう。とてもよかったよ」
『あ、いえ、えっと、ありがとうございます』

その後に、子供たちと何時の間にか集まっていた人々の拍手と歓声が上がった。
その喧騒の中でふっと肩をすぼめて微笑むゼンガーに、ハーモは不思議と、感動よりも哀れみを覚えていた。
そして、その言葉が、ぽつりと口から零れた。
それはハーモ自身、自分が言ったことなのだと気付くのに、数秒の間があったほど、無意識に出ていたのだ。

「君は、とても辛そうに歌うんだね」

途端、ゼンガーの表情がさあっと変わった。
まるで喉元に剣を突きつけられたような、恐怖にも怯えにも似た表情であった。
その表情と真っ直ぐに向き合ったハーモでさえ驚きのあまり言葉を失ったほどである。
周りには相変わらず喧騒が渦巻いていた。

「ファーレンダー・・・・?」

その言葉に反応してか、はっとゼンガーが微笑んだ。
だけどそれは、針金を曲げたかのような、まるで無理矢理笑おうとしているみたいだった。
それから、僅かにゼンガーが後退った。
そして、二人の間に何時の間にか形づくられた緊張を破るようにして、子供たちが殺到した。
そこでその緊張は解け、最後までゼンガーは無理矢理な笑顔のまま、子供たちと一緒に歌をうたった。


/銀鱗亭=食堂


「やあ、これはこれはマロウさん」

ふいに、横から聞こえた声に首を曲げると、給仕服姿の6(シス)・クードが控えめに手を上げて近付いていた。

「・・・その格好」
「言わないで下さい言わないで下さい」

すぐに言葉を遮られた。
仕方なく、マロウその格好について述べることを諦めた。
それを察してか、シス・クードはマロウの横――一つ間を開けた席に座った。

「神経質なんだな」
「違います」

即答された。

「あ、リデルさん」

その後に、シス・クードが厨房で働くリデルの姿を見つけて、その名前を呼んだ。

「残飯か。どうした?」
「相変わらずそのあだ名なんですね。ああ、いえ、注文をしようかと」
「どうせ何時ものだろう?」
「察しが良くて助かります」
「私としても嬉しいからいいが、あまり無理はしてくれるなよ」
「しません、する気もありませんよ。勿体無いので」
「それで前も、その前も、蒼白してぶっ倒れ記憶があるんじゃが」
「食べ過ぎただけですよ」
「まあ、いいか。ちょっと待ってるのだぞ」
「何時でも待ちますよ」

背を向けて厨房の奥に向かうリデルを見送りながら、再びシス・クードが席に着く。

「何時のもの?」

すかさずマロウの口からその疑問がついて出た。

「残飯ですよ。リデルさんの、勿体ないでしょう?」
「勿体・・・・ないのか?毒料理なんて言われるらしいが」
「食べ物を粗末にするとお百姓さんに怒られますよ」
「なんだそれ?」
「私がまだ貧乏だった頃によく言われた言葉です」
「お前、貧乏だったのか」
「知らなかったんですか?」
「まったく」
「まあ、そうですよね」
「だから此処に?」
「本当は道端で餓死してるはずだったんですがね、偶然と偶然の巡り合わせと言いますか」
「それほどまでに飢えとの戦いだったんだな」
「そうですね。でも、運が良かったんでしょう」
「そう、だろうな」

「同情するなら金ですよ」と丁寧に釘を刺されたマロウは、「同情する気はない」と返した。
先に、マロウの方に料理が運ばれた。
その後に、「お待ちー」と馬鹿っぽい感じにリデルが“残飯になるはずだった料理”を運んできた。
そしてすぐに、厨房全体にエアリィの何事かが告げられ、厨房の奥へと歩いていった。
暫くは二人して、黙々と相対する料理を口に運んでいた。
「あんな毒々しい料理をよく食べれるもんだ」と思いながら、口の中の味を飲み込んだ。
互いの皿が、ほぼ空になる頃に。

「可愛いですよね」

ふいに、シス・クードが呟いた。
その視線が、厨房に向けられているとマロウは悟った。

「ああ、まあ確かにな。ハンナベルやエアリィもそうだが、ラキナやブロウドも」
「いえ」
「?」
「リデルさん」
「ああ・・・・・・・・え?」
「・・・・ごちそうさまでした」
「お前、それ、どういう・・・・」
「さてはて」

先程の発言を誤魔化すように、逃げるようにシス・クードは空になった皿を持って席を後にした。
心なしか、その歩調は異様に早かった。


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