「魔王。狂騒を奏でるは」   作:(腹)黒猫





/外周

その日、外の時刻は青からオレンジへと移り変わり、いずれ何もかもが判然とせぬ淡い闇に染まり始めていた。
ニュアージュ・スケアクロウは自分の身をその闇に浸すように、悠然たる銀鱗亭<メイムナー>に背を向けて歩いている。
歩むほどに彼女の見焦がれた光は背後に遠く去りゆき、かといってそのままどれほど歩もうととも、結局その身を完全に闇に沈めるまでには至らない。
そんな歩みであった。そういう背中であった。それこそが彼女であった。
ただ、その足音は軽く、「別段そんなことは嘆くまでもない」と言うように、むしろ楽しむさまのように見せて、幻の雲煙をまといながら薄明かりの中を進んでいった。

/銀鱗亭【特別訓練所】

「やれやれ、折角の再会だというのに」

ニュアージュが呆れてたように呟いた。
その顔は悪戯を咎められた子供のようで、そのくせ、反省をするような色を全く滲み出させていなかった。
実に愉快痛快とした快活快然な態/性格で、今、目の前に真っ向と向き合っているハンナベル=グラスドールと見据え合っている。

ふいに、ハンナベルの口がゆっくりと開いていった。
それに合わせてニュアージュの瞳が動き、徐々にハンナベルのその面にははっきりとした意思を表してゆく。

「・・・・その昔、御前は妾に言ったな。“その小鳥を鳴かせることなく、鳥篭に入れられるか”、と」

ハンナベルが言った。
感情を込めて、半ば理性を込めて、辺りの気温が下がっていくほどに。
その幼い身が、まったく別の姿を表すかのように。

「それしか、国と国との、種と種との争いを、鎮める・・・・止めさせる術はないのだと」

その真っ直ぐな瞳が、今も、はっきりとニュアージュを捉えていた。

「しかし、それは同時に、皮肉にも“絶対支配”という新たな野望を“全て”に与えてしまいかねないのだと言う事も。
 御前が汲んだ“希望と言う名の謎々”は、そういうものだったのだ」
「そうした宿命に嘆けるということは、生けとし生ける者たちの特権と言って良いものなのだよ。不殺の竜姫どの」

かっとハンナベルの両の目が見開かれた。
その頃、銀鱗亭<メイムナー>の外では黄昏が過ぎ、その天辺にゆるゆると月が昇り、闇は星々を吐き出しながら淡い輝きを降り注がせ、徐々に広がっていた。

ハンナベル=グラスドールは、目の前の相手の五体と言う全てを氷と言う名の凍てつく刃で切り刻むかのようなまるで冷徹な、そのような眼差しをもって、痛烈に呶鳴った。

「笑止!その傍若無人な態度も手伝って、こちらの“解”は全て闇へと葬られたわ!」
「ほう・・・・それが、不殺の竜姫<ハンナベル>どのの言うことか?ならば、私に言うべきものはないな」

ニュアージュは笑う。
相手の静かに波立つ感情を、他ならぬハンナベル自身にかえりみさせるような飄々とした口ぶりだった。堪らなかった。

「御前は・・・・本当に・・・・・」

ハンナベルの面には引き攣った笑みが浮かんだ。
かと思うと、その両手に魔法の微細な青い燐光が散った。

「御前はついに己が自身の意思で災厄を齎し始めたのだ!小鳥を仇する蛇たることを受け入れたのだ!」

叫ぶと同時に、右の手を前方に向かって勢いよく突き出した。
途端に空気が凍りついた。凄まじいまでの氷結の針が、幾つにも真っ直ぐに空を裂いて飛んでいく。

ふわり、とニュアージュが動いた。僅かに浮いた。
極めて滑らか且つ慣れきった動作で左の手を前方――迫り来る氷針に突き出した。
その手が、青い燐光を散らせて振るわれた。
目に見えぬ空圧を刃とし、氷針を受け、あるいは避けて、僅かに身を引いて次の備えたかと思うと――いきなり――眼前に―――ハンナベルが向かって跳んできていた。

「な、にっ!?」

ハンナベルの周囲を空気/風が巻いた。



刹那



無数ともいえる不可視なる空圧の刃を、正確に潜り抜けたハンナベルが、真っ向から燐光の散る右拳をニュアージュに突き込んでいた。
激しく火花が散る。ニュアージュの胴体を式<フォーミュラ>がすぐさま演算を成し魔法障壁を展開しようとしていたが
ハンナベルの突き込まれた右拳がまたたく間にそれを氷結させ、粉砕した。
式<フォーミュラ>の演算が淡い燐光となって散り、次の瞬間にはニュアージュもまた後ろに吹き飛んでいた。
その僅かな瞬間を見逃さず、ハンナベルの左の手が燐光に染まり、更に追い撃ちをかけようと地を蹴ろうとするが―――

「っ!!っと・・・・」

その足元、残り一歩のところで式<フォーミュラ>が綴られているのに気がつき、素早くその身を止めた。
ぱっ、と左の手を振り、その指先が、正確に式<フォーミュラ>をバラバラに解除した。

「器用さだけは変わってないな」

感嘆したように、ハンナベルを囲うように展開された式<フォーミュラ>を見やって言った。
演算/等符号が浮かび上がり、回転し、結合して解答を導き出す寸でのところで、その手が式ごとそれらを掻き消した。
粉々に解除された式の燐光が、更に微細な光の塵となってハンナベルの周りに舞い上がり、彩った。

「まさかな、接近してくるとは・・・・」

倒れ伏したままニュアージュが呟いた。

「・・・・立ち上がらぬのか?“蛇”として」
「残念ながら、あの時、あの時代ほど、私は強くなっていないのでな」
「いかにも、御前は“蛇”だ。
 この期に及んでも尚、自分から逃げようとしている。逃げれぬ事を知りながら、それでも」

ニュアージュが仰向けになり、「おや?」というような顔でハンナベルを見た。

「なんだ、判ってるじゃあないか」

のうのうとそう言う様に、ハンナベルが並々ならぬ生真面目さで、きっと怒りを目に溜めた。

「御前は・・・・本当に小さくなった」
「それはあれかい?外見の事も含めてか?」
「・・・・どちらもだ」

ハンナベルが呆れきったように溜め息を吐いた。

「お互い、能書きが多くなったな」
「ははあ、そうだな。確実なのは、お前はまだ若気に浸ってるということかな」

見下ろすハンナベルと、見下ろされるニュアージュは笑った。

「私はチェックアウトするよ」
「そうか、その外見の所為で気付かなかったが、本当に御前だったとはな」
「流石に、“あの時代のまま”じゃあな」
「だろうな。まだ泊まっておけば良いのでは?」
「そうもいかん。私にもやるべき事がある。ゴローどのにも会いたかったが、丁度タイミングが悪かったようだ」
「時間はあるのだから、また何時でも訪ねてくれれば良い」
「そしたらまた、説教してくれるかい?」
「してほしいのか?」
「ああ・・・・イヤだね」
「そういうことだ」
「そうか。・・・・折角の機会だ。私の親友を紹介しよう」
「ほう?親友とな」


/外周

「ああ、また心の底から笑えたよ」

一人、呟く。
その頭のてっ辺に、一匹の黄金虫。

「だがまあ、果たして“強い国”とあろうとし、“正しい国”など微塵も無い。
 それでも不殺の竜姫<ハンナベル>どのは一切の希望を捨て切っていないと言うのに」

黄金虫が翅をぶぶっと鳴らせた。

「いやすまない。お前の方がよっぽど長生きだったな。そうだ、そういうことはお前が一番知ってるんだったな」

やがて、真っ白い影は闇の彼方へと消えていった。

―歴史は二度繰り返される。一度目は悲劇だが、二度目は茶番だ―

/ニュアージュ・スケアクロウの歩み

約500年そこら前
生誕。
特にこれということもなく育つが、その種族と特殊さ故、あまり受け入れていなかった。

約400年そこら前
追われる黄金虫ことクリープと遭遇。
お互いの存在に共感し、共に生きる。

約云々
戦争を経験。
多くの仲間を失う中、絶対的指導者がいると言うザイランスへ。

云々あってその特殊さを利用し、雲の上で月日を過ごす。
そして過去に見た商人たちに憧れ、悪戯に商売を始めるが儲からず、代って“戦争”を売る商人へと成り、儲ける。


結局、悪い奴でもあり、そうでもない。悪党になりきれなかった悪党。


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