「概念の代行体【ハンナベルと模擬戦】」   作:夕画





「こんばんは、ハンナベルさん」

「む?桜花か……どうした?」
 夜、二つの影があった。
 五百の歳月を生きた銀鱗龍。
 己が剣と同調した人間。
 そんな二人が向かい合っている。
「ハンナベルさんが挑戦者を探していると聞いて……」
「ああ、その件か」
 人間の方は目を包帯で覆っていた。そして、その手には藍色一色の刀が握られている。
「スペルビアの亡霊によるものとされた各種事案。私はあれのいくつかに参加しました。
 しかし、それで私は満たされなかった。私の血が欲する戦いはもっと高いレベルのものだった。
 師匠と旅をしていたころは、それを私なんかよりもずっと強い魔物なんかとの戦いで満たしていた。
 しかし、ここで働くと決めて、今の戦争中の状況ではここを離れることはできない」
「なるほど、それで妾と戦いたいわけか。たしかに、ここでの戦闘は基本防衛だからな、自分から強者のもとに赴いて戦うことはできない。妾の挑戦者募集は今のお前にはうってつけだったというわけだ」
 桜花はその言葉に無言でうなずく。
 二人とも薄い笑みを浮かべて向き合っている。

「今からやるのか?」
「いいえ、今日はハンナベルさんの、丁度予定のあいている日時をうかがいたかっただけです」
「そうか」
 口数が少ないわけではないのに、どことなく静けさを感じるやり取り。
 ハンナベルが淹れたお茶を桜花に手渡す。桜花はそれを、軽くお辞儀をして、両手で受け取った。ハンナベル自身もお茶を手に、近くにあった椅子に座る。
「まぁ、お前も座るといい」
「……ありがとうございます」
 桜花もハンナベルの隣に座ると、軽くお茶に口をつけた。
 その姿をみながら、ハンナベルは口を開く。
「お前一人で妾に挑む気か?」
「ええ」
「やはりそうか」
 そういって、ハンナベルも一口お茶を飲んだ。
 別にハンナベルは桜花を侮ってはいないが、それでも負ける気はしなかった。
 しかし、桜花の目的は別にハンナベルに勝つことではないのだろう。そのことはさっきまでの会話でわかっていた。
 その上で丁度いい日時を考えてみる。
「だったら……三日後の夕方はどうだ?」
「……その日時なら私もあいています。
では、その時間でお願いします」
 桜花はそういうと、お茶をおいて、席を立とうとする。
 しかし、それをハンナベルがとどめる。
「まぁ、そう急ぐな。別に今から用などはないのだろう?お茶ぐらいゆっくり飲んで行くといい」
 そう言われた桜花は、席を立つのをやめ、もう一度座りなおして、さっき置いたお茶を手に取った。
 それをみて、ハンナベルは軽く微笑むと、ふと思い浮かんだ疑問を桜花に投げてみた。
「そういえば、さっきお前は『血が欲する』などという表現を使っていたが、何か特別な一族の出身なのか?」
 その質問をうけた桜花は、お茶を再びテーブルの上において、少し上方に顔を上げる。そのままの状態で言葉を紡ぎ出した。
「そうですね……私の一族は旅の一族だと父から聞きました。
 私を含めた『神切』の一族の人間は、『神切』の名を掲げる以前から、より強いものと戦うために旅を続けてきたそうです」
「なるほどな」
 確かに戦闘をこのんでいそうな一族だとハンナベルは思った。
 しかし、地が欲するなんて表現を使うのは、戦闘が好きというより、戦闘しなければならないように呪われている者たちか、そのような表現を使うほど戦いを好む戦闘狂だ。
 それを考えると、何か桜花の答えはずれているような気がした。
―――まぁ、ちょっとした表現の仕方の問題か。
 ハンナベルは自身の思考をそう結論付けると、再び自分のお茶を一口飲む。
「ハンナベルさんはどうしてここに居るのですか?」
 今度は桜花からハンナベルへの質問。
 ハンナベルはそれを聞いて、桜花と会話するのはほとんど初めてであることに気付いた。
 そうなると、せっかくの機会だから、交流を深めようかと思ってしまう。
 それは桜花の方も同じだったようで、意外なことに会話は結構な時間続いた。
 そのようにして、その日の夜は更けていった。

「ちびっこに勝負を申し込んだか」
 桜花は自身の師匠である神楽の言葉を無視して、黒針の精製を続ける。
「おい、師匠の言葉を無視するな」
 それでも桜花は無視して作業を続ける。
「弟子が構ってくれなくて、私は悲しい」
 無視し続ける。
 明後日にはハンナベルと戦うのだ、そのための準備を怠るわけにはいかなかった。
「はぁ、まぁいいか……お前がちびっこと戦うのは好都合だしな」
「好都合?」
 桜花が、神楽の言葉に本日初の反応を示す。
「お、ようやく反応した。私の言葉の理由しりたい?」
「いいえ、別に」
 桜花はとりあえず作業に戻る。こうなった神楽の相手をするのは時間の無駄だと知っていた。
 それに、無視していれば、たいてい神楽の方から続きを話し出す。
「くっ……弟子がつれない」
 とりあえず黒針の精製作業を続ける。そうしながら、神楽が話し出すのを待った。
「ちっ……お前がそういう態度ならこのことについては教えてやらない。このことについては結構な重要事項だからな」
 予想を裏切って、神楽は話を始めなかった。かなり珍しいことだと思う。
「今回のことは……私に聞かなかったことを後悔すると思うぞ」
 神楽はそう言って姿を消した。
 桜花は驚きつつも、準備を進める。
 正直、今の神楽の言葉は気になっていた。しかし、こうなっては確かめるすべもない。
 桜花はとりあえず、今のことについては忘れることにした。

 このときは、神楽の言っていたことでどのようなことが起こるか当然全く予期できていなかった。


「桜花、明後日にハンナベルと戦うそうだな?」
「これはこれはエアリィさん。おつかれさまです」
 いきなり後ろから声をかけられた桜花は、しかし特に驚きもせずに挨拶を返す。
「挨拶はいい、だがどういうことだ?最近だんだんお前が変わっていっているように思う。
 ここに来てすぐのころはもっと冷静で身長なイメージだったが、今はどちらかと言えば、猪突猛進で凶器的なイメージだ。
 今も前も変わらないのは、基本的には静かだということぐらいだろう」
「ああ……確かに私はそのような変化をしているでしょう。でも、きっと明後日の試合の後にはおそらく前のように戻っていると思いますよ」
 桜花は血の呪いが求める戦いができない時間が続くと、今エアリィに言われたような精神性の変化を起こす。

「どういうことだ?」
「私の血は呪われているんですよ。戦いを求める呪い。
 私の一族の人間は、私の切り札である閃光、あの刀を初めて握った日から、この呪いを背負うことになる」
「閃光を持った日から?だったらそれは閃光の呪いではないのか?」
 エアリィの当然の疑問。桜花もその質問が来ることは分かっていたため、さらに説明を加える。
「閃光を使える者は、私の知る限り私の一族の人間と、師匠だけです。他の者が持ったところで、普通の刀にしかならない。
 師匠は例外としても、私の一族しか使えないのであれば、それは血によるものと言っても間違いではないでしょう?
 それに、事実かわかりませんが、以前他に使った者がいるという記録も残っています。
 そして、そのものには呪いは振りかからなかったらしいのです」

「ほう、だが、だったら何故お前の一族はそんな刀を伝えているのだ?
 力が強いのはわかるが、それでも呪いが発現するような武器を普通伝えたりはしないと思うが」
「その理由については分かりません。ただ、閃光は家宝のようなものです。
 だから、伝え残していかなければならないという考えで残されたのではないかと思います。きっと呪いと気付くまえにすでにそうなっていたのでしょう」
 桜花にも理由がわからなかったため、予想での話をする。
「ふむ、だが、その刀は呪いがなくとも反動が強い、それをそこまで使い続け、伝え続けていくのには何か理由があるのかと思ったのだがな……」
「反動については、父から聞いた話だと、閃光を使いこなせるものは反動を受けないそうです」
 その言葉を聞いたエアリィが、いぶかしむような反応を示す。
「使いこなせば反動を受けない?馬鹿な。私がお前と訓練したとき見たあれは、使いこなせば反動を受けないなどと言うような質の物ではなかった。
 あれは生物の無意識下のリミッターを外す類ではない。あれは生物の限界を超えて生物を動かし、崩壊していく肉体器官を一時的に補うものだ。
 リミッター解除ではなく、崩壊を伴うほどの超強化と肉体の一時補完だ。
 つまり、あれは確実に使うものの肉体を壊す。私はあれを使いこなすという話を聞いたとき、それはつまり使用可能時間が制限されなくなることだと思った。
 あれは使用している間に関してはあれが肉体を補完してくれるから、ずっと使い続けられるはずだ」
 その言葉に、桜花は驚く。少しの間言葉が出ない。
 しばらくして、ようやく言葉を紡ぎ出す。
「いや、そんなはずはありません。私はあれを使っている間肉体を補われていると感じたことがない。それに、師匠もそのようなことは一度も言っていなかった」
「あれが補完したところも随時破壊されていく。だから痛みは延々と続くはずだ。だから補完を感じ取れなくとも無理はない」
 エアリィはそう言いはしたが、神楽が説明していないことを気がかりに思った。
 あの化け物が気づいていないはずがないのだ。ならば、黙っていることには何か意味があるのだろう。それが気になった。
「ま、疑ってもいいじゃろう。どうせ明後日はあれを使うのだろう?そのときどうなるかわからんが、頭の片隅にぐらい置いておくといいだろう」
 桜花にそれだけ言って、エアリィはその場を去る。
 そして、自身の疑問を解消するべく歩き出した。

「で?何故おぬしはあの刀の本当の性能を桜花に隠してきたのだ?」
 歩き始めて間もなく現れた気配に対して、エアリィが問う。
「はぁ、まさかお前が気づいているとは思ってもいなかった」
 反応はすぐにあった。姿を現すのは当然神楽だ。
 銀鱗亭の給仕服ではなく、赤い着物を着た神楽。その気配はどことなく不穏で―――
「おぬしは何をたくらんでいる?」
「別に何も……ただ、収穫の時を待っていただけだ。その時ももうやってきたがな」
 神楽の言葉の意味を、エアリィは理解できない。だが、神楽の不穏な気配が高まっているような気がした。
「収穫とはどういうことだ?」
「お前とは関係ない。……安心しろ。私は銀鱗亭を裏切るようなことはしない。
 私はただただ己が快楽の為に生きるのみ。今回もそういった事案だ」
 神楽の言っていることは本当だろうとエアリィは思う。だが、その場合の神楽にとっての桜花という存在の意味を考えれば―――
「桜花はおぬしの弟子ではないのか?弟子を己が遊戯の道具とするものなどに師を名乗る資格はない」
「さっきも言ったが……お前には関係ないな。いや、関係ないどころか今のままだと邪魔だ。少しお前には黙っていてもらうことにしよう」
 神楽のその言葉を聞いた直後に、エアリィが動いた。即座に後方に跳ぶ。そのまま剣を抜こうとして―――

「え?」
 意識のどこかが切り落とされた。

 エアリィがとまった。
「どうしたエアリィ?何故剣を抜こうとしている?」
 エアリィ自身わからなかった。何故神楽の近くに居るのか、剣を抜こうとしているのか、それどころかさっきまで何をしていたのかもわからなかった。
「いや、どうしてだろうな」
 エアリィは自分の感じるひどい違和感の原因を考える。状況的には、目の前の神楽が原因ではないかと思うが、結局証拠もないため、わからない。
「白昼夢でもみたか?お前もそろそろガタが来たんじゃないか?」
「む、それは儂の年齢のことを言っておるのか?それだったらおぬしの方が年上だろう」
 違和感だらけの思考をするよりも圧倒的に楽なやり取りに、思考が自然と流れてしまう。

―――いや、だめだ
 しかし、なんとか思考をもとに戻す。吐き気がするほどの違和感がエアリィを襲う。
「お前は無茶をするなぁ」
 神楽がそういったことで、やはり原因が神楽であるとわかる。
 理由はまだわからないが、エアリィはさっきまでの自分を信じて、剣を抜く。
「やめておけ、私を攻撃する意味はないぞ」
 神楽の言葉も聞かずに、エアリィは駆ける。
 その超高速度で神楽の後ろに回り込み、そこから一太刀入れようとして―――
「やめろと言っているのがわからないか?」
―――ずっぱり切り落とされた。
 体がではない。心がだ。
「時間及び精神の座標指定切断。お前の精神の中で、私に都合の悪い部分を全て、今から明後日の夜までの時間指定で切り落とした。
 よっぽど化け物みたいな精神力がなければ明後日の夜まで、お前は私たちに関して何もできない。
 ま、べつにお前や銀鱗亭に不都合なことは何も起こらない。私が楽しむだけだ。気にするな」
 エアリィは何も答えない。ただ止まっている。その様子を見て、神楽はその場を離れた。
少ししてようやくエアリィの目に光がもどる。
「私は何をしていたんだ?」
 エアリィの周りには誰もいなかった。
 そこでのやり取りの証拠となる物は、何一つ残っていない。


・・・・・


「では、始めましょう」
「ああ」
 メイムナー内部の訓練場。
 また、二人は向き合っていた。
 しかし、前回よりもその雰囲気には緊張感がある。
 その二人の間にアラドとミュール、アルモニカが立っている。さらに、周辺には多くの観客がいた。
「この勝負には俺とミュールとアルモニカが立ち会う。よっぽどヤバそうなことになったら、止めるからそれまで心おきなくやりあえ」
 アラドの言葉に二人はうなずき、そして向き合う。
 今日の桜花の恰好は、スペルビアのときの恰好だった。本人からも武器からもかなりの魔力を感じられる。
 ハンナベルはというと、いつも通りの恰好で、別に構えるでもなく、ただ立っている。
 そんな二人の様子をみて、アルモニカが言った。
「試合開始!」
 その言葉と同時に動いたのは桜花だった。ハンナベルに向かって、尋常ではない速度で駆ける。
「はやいな」
 桜花が腰だめに構えた鳴龍でハンナベルに一閃しようとする。が、その瞬間にハンナベルも魔法を放った。
 防御ではなく、攻撃の魔法を。
 そしてその魔法で生まれた氷の礫は、鳴龍がハンナベルに当たるよりも明らかに早いタイミングで桜花の頭に直撃するだろう速度と軌道だ。桜花は当然防御するしかないはずだった。はずだったのだが―――

―――桜花は防御も回避もせずに、攻撃を続行した。

「なっ!?」
 止めようがない魔法が、桜花の頭を貫く。それに一瞬遅れて、鳴龍の一閃が、ハンナベルを浅くとらえる。
 地が吹き出る静かな音がした。
 そのとき、ハンナベルの魔力知覚が、違和感を覚える。あの程度の魔力しかこもっていない刀が、直撃とはいえ、ハンナベルにこれだけの傷を与えたからだ。
―――これは……なるほど
 周囲の魔力が普通ではないことを感じ取ったハンナベルが、魔法を使う。一瞬にして、あたり一面が凍りついた。さらに、その魔法で周囲に満ちた魔力が弾き飛ばされる。
「知覚に働きかけるタイプの結界魔法か」
 そういって、ハンナベルは自分の体を確認した。どこにも傷はない。そして、前方には無傷の桜花が立っていた。
「さすがですね、私が本命の攻撃に移る前に神音制域を解除されるなんて」
 そういった桜花の背中に、藍色の翼が生える。うろこの生えた、龍の翼が。
「鳴龍完全同調。『シンソク』『エンテイ』『マオウ』同時起動。行きます」
 桜花はそう言って、さっきまでよりもさらに速く駆ける。
 駆け抜け、回り込み、ハンナベルの後ろから斬撃を放つ。
 そこに、再び先程と同様の迎撃が来る。
 先ほどよりも速いのに、それでも直撃するのは魔法の方が速いぐらいの速度。そして今回は本体だ。さっきとは状況が違う。

「アクセル!」
 そして、違う状況でも、桜花が選んだ選択肢は同じだった。
 つまりは攻撃の続行。桜花は『シンソク』の発動を使って、ハンナベルの魔法を上回った。
 鳴龍の刃先が、ハンナベルをとらえる。急加速した桜花をとらえきれず、魔法が空を切る。
 そして、桜花の一撃はハンナベルのしっぽに止められた。
 桜花の驚きは一瞬。すぐあとから、ハンナベルの魔法が襲った。
 桜花は鳴龍で氷を防ぎながら、後方に跳ぶ。さらに同時に多数の黒針を放った。数本の黒針と、一つの氷が相殺する。そのまま、黒い針と氷の礫が飛び交う。
しかし、だんだんと氷の勢いが押してきて、桜花の鳴龍での迎撃も回避も間に合わなくなるという瞬間、
「発火……アクセル」
 桜花の目の前の空間が深紅の炎に染まった。それによって、氷が全て蒸発する。
 それと同時に、桜花は再びハンナベルの後ろに回り込んでいた。再び振り下ろされる鳴龍を今度は氷の壁が防ごうとして
「フォルテ!」
 突然赤紫色に輝きだした鳴龍が、その氷の壁をなんなく切り裂いた。
「アクセル!」
 その刃が、さらに加速して、ハンナベルに迫る。そして鳴龍がハンナベルに触れようとした瞬間
「!!」
 桜花は後ろに跳んでいた。

 ハンナベルの雰囲気がかわっていた。その威圧感はさっきまでの比ではない。
「ようやくその気になってくれましたか……ならばこちらもさらなる奥の手を使わせていただきましょう」
 桜花がそういうと、桜花の背から翼が消えた。さらには角までも消える。そしてその代わりに―――
「意思表出率を5%から20%に変更」
 鳴龍の形が変わっていた。
 長さ3メートルはあろうかという幅広の両刃刀。
 藍色のそれからは、さっきまでよりもかなりまがまがしい魔力があふれ出している。
「鳴龍の同調率は回避、速度、情報収集能力に関係するが、意思表出率は攻撃力、魔力、防御力に関係する。さっきまでよりもより短期戦向きになったと思ってもらうといいでしょう」
 桜花はそういうと、再び走り出した。馬鹿の一つ覚えのように、突っ込んで行く。
 それに対する迎撃はさっきまでより苛烈だった。
「『エンテイ』終了。『コウヘキ』起動。……シールド・オン」
 桜花の目の前に光の壁が現れるが、数個の氷を防いだ後、粉々に砕け散る。その直後に飛来してきた氷を鳴龍で防ぎ、
「アクセル」
 桜花は再度加速する。
 しかし、今度は接近するためではない。攻撃の密集地帯から逃れるためだ。一瞬前まで桜花がいた場所を、氷の嵐が飲み込む。鳴龍の自動迎撃でも、後数秒ももたなかっただろう。
 そして、それは鳴龍の同調率や意思表出率を変えたところで同じ結果だろう。それほどまでに、今のハンナベルの攻撃は苛烈だった。
「アクセル」
 再び桜花のいた場所が氷におおわれる。今の桜花の回避手段は『シンソク』のみだった。
 それでも桜花はあきらめずに、新たな攻め手を模索する。

「我は問おう!我は問おう!その真なる闇の奥には何がある!その深なる闇の奥には何がある!
 我求むるは深の真!神なるもののみが知るところなり!終焉の闇を此方に!開闢の光を彼方に!今あるべきは始まりの終わり、終わりの始まり!ただそこにあれ!『混沌の渦』」
 桜花が全力で回避運動をしながら、唱えおえた高位古代魔法、『混沌の渦』。内に全てを内包し、全ての起源と終局を知る渦。故にそれは全ての属性の弱点であり、触れる全てを無差別かつ絶対的に破壊する。
 桜花の魔力では極小の、かなり範囲を限定されたものしか放てないことを考えても、仲間に向けてはなっていいような魔法では決してない。
 しかし―――
「さすがは銀鱗龍ですね」
 ハンナベルは健在だった。
 かの種族のもつ銀の鱗。それは神楽の言うところの『ここにはあり得ぬ存在』のあかし。そのものはもとより生まれるはずもなく、そして終わるはずのないもの。
 だから、かの渦にも内包されていない。そのようなものは『この世界の混沌』のうちに存在しない。
 だからその攻撃はハンナベルには通らなかった。それは物理的・魔法的威力ではなく概念で破壊する魔法。その概念のそとの存在には通用しない。
「魔法も鳴龍も黒針もだめか……アクセル!」
 そうなるとあとは一手しかない。
「む」
 ハンナベルがそれに気付くと同時に、桜花がそれを空間のゆがみから抜き放った。
「全力で行きます……発動!……閃光よ奔れ!」
 桜花の周囲に光が奔る。腕や足が黄色い半透明な力をまとい、全身も薄い力に包まれる。
 桜花がエアリィとの戦いでも使わなかった、閃光を『発動』した状態。
 桜花は目を覆っている包帯をとる。鳴龍の同調と閃光の発動で、黄色い瞳と切れ長の瞳孔という状態になった目、その目がハンナベルをとらえる。
「行きます」
 桜花がそれまでとは比べ物にならない速度で、動き出した。


「ようやく使ったか」
 神楽はその様子を見て満足げに呟く。
「丁度エアリィが伝えてくれたおかげで、説明する手間も省けた。これならもうすぐ臨界突破するだろう」
 神切の一族。その収穫の時。
「さあ、私がまいた種がどんなに綺麗な花を、おいしい実をつけているか……見せてくれ、わが弟子よ」
 そう呟きながら、神楽は見つめ続ける。
 自分の力に、記録する機能を付けて分け与えた一族の末裔と、自分の力でカギとして作り出した刀。その解放の時をまって、見つめ続ける。

 閃光使用の限界が来た。
 閃光の速度と威力をもってしても、防がれ続ける結果となってしまった。
―――ここまでか。
 そう思ったときに、ふとエアリィに言われたことを思い出す。
―――使い続ける限り動ける……か。試してみる価値はあるな。
 そして、桜花がさらに動こうとしたとき
≪天魔の欠片、制御魔法の臨界突破を確認。閃光を鍵として起動。記録を再生します≫

 そんな文字が桜花の頭の中に浮かんで。
「え?あ……うああああああああああああああああああああ」
 桜花の脳に多くの映像が流れ込み、……そして全てが闇に染まった。

「え?あ……うああああああああああああああああああああ」
 桜花の叫び声とともに、桜花の纏う魔力が変わる。
「なんだ?どうしたんだ?」
 アラドが心配そうに桜花を見た。ハンナベルも油断なくそちらを見ている。
「止めた方がいいかもな」
 そういったのはミュールで、桜花の方へ歩いていこうとする。
 しかし、その直後に桜花の叫びが収まって、
「……アクセル・神槍・O%$&`@ ・殲滅の天使・凍剣『キィ』発動・神音制域・―――――」
 いくつもの声が同時に、桜花の口から聞こえ、そして幾種類もの力が同時に発動した。
「なんだこりゃ」
 桜花を中心に吹き荒れる破壊の渦。そして、その渦は高速で移動し続ける。
「アラド、周りの奴らを避難させろ」
「何言ってやがる、こんな状態になったらもう試合中止だ。俺も他の奴らも止めに入るぜ」
 ハンナベルとアラドがそう言いあう間にも、その破壊は広がっていく。
 観客となっていた者の中にも、桜花を止めようとする者が現れ始めた。

「これは妾と桜花の戦いだ、手を出すな」
 ハンナベルのその言葉とともに、氷の壁が訓練場を囲い、周囲と二人を隔てる。それと同時に、再び張られていた神音制域の魔力が弾き飛ばされる。
「始神の雹界」
 ハンナベルが一本の巨大な氷の槍をはなつ。その行く先にハンナベルが視線を向けると、いつの間にか鳴龍と完全同調した桜花が、口を大きく開けて、
「キィィィィァァァァァァァアアアアアアアアアアアア」
 ひどく高い、大きな声をあげた。強い魔力をまとったその音は、上級魔法にも匹敵する氷の槍を共振させ、粉々に砕く。
 それを視界にとらえて、エアリィは思う。
―――だが、それだけではとまらないぞ。
 砕けた氷の槍から、内に込められていた魔力と冷気があふれ出す。
だが、本来方向性なく拡散するはずのそれは、何故か桜花の手元に集まっていく。その手には桜花が口にした言葉の一つにあった、『キィ』なる剣が握られていて、あふれ出した魔力と冷気を奪い取っていく。
―――鳴龍はどこだ?
 そう思ったハンナベルの目に、桜花の両腕と同化した鳴龍が映る。桜花の両腕と同化した鳴龍の刀身には、大きな目が現れていた。
 そして、その姿が消える。
 いや、消えるほど速く動いただけだ。ハンナベルの魔力知覚が、その動きをとらえる。そして、ハンナベルの魔法がその動きを追う。だんだんと桜花に氷が迫っていく。
 振り向いた桜花が、『キィ』を振りぬいた。その刀身から、先程吸収した『始神の雹界』の力を宿した半月型の力が放たれる。
 その力はハンナベルの魔法までも巻き込んで、肥大化し、周囲の張られた氷の壁を切り裂いた。切り裂かれた壁はすぐさま修復し、再び外と二人を隔絶する。
「滅び蝶」「剣雨」「逆さ月」「紅夜」「栄枯の魔眼」
 幾多の力がほとばしる。
 大量の蝶と光を帯びた剣が、ねじ曲がった軌道を描いてハンナベルに迫る。それを防いだ氷の壁が一瞬の後に朽ち果て、さらに剣と蝶が迫る。
 破壊の暴風と化した桜花とその猛攻を全て防ぎきるハンナベル。
 戦いはさらに激化していく。

「桜花に求めたのは情報概念の代行体だ。私と同じ後天的に成った代行体。それを作り出すことを求めた。
 ようやく存在概念の体現者へと上り詰めた私と、その私が遠い昔に撒いた種。情報の代行体にふさわしい記録の堆積とそれを真にする力。
 そしてそれを受け止めきるほどの器。それらの条件がそろったからこそ私は桜花を弟子にした」
 神楽は口の端を釣り上げて、二人の戦いを観測する。
「今の桜花はまだ代行体に成り切れていない。ただ、血に残された記録を際限なく再現するだけの化け物。これが収束し終息し集束したとき、ようやく桜花は代行体になる」
 神楽は自分の持つ刀を見る。全てを切り裂く、意識なき概念の代行体。使用者を同質存在とするそれは、この世界や、この世界に比較的近い世界とは遠く離れた概念の存在だった。
「あとはきっかけ、それさえあれば桜花は覚醒する。そして、相手がハンナベルならそのきっかけも得やすい。
 なにせハンナベルは私や桜花とは違った、上位概念の系列にある。概念体系は違えど、概念の階位は近いものがある。
 いや、むしろ概念の階位で言えばあちらの方が高いかもな。あちらの上位種はこちらの最高位種……概念を統べる者の最高位個体の数体でなければ、相対することもままならないからな」
 そういいながら、二人の戦いを観測し続ける神楽の概念知覚に変化が現れる。神楽たちの概念体系でいう存在概念の格が、異様に高い魔法。
「…… やはりやるかハンナベル。そうだろうな、今の桜花は生半可な力では止まらない。
 再生も防御も透過も転移も、スキルとして持つ今の桜花を殺さずに止めるには『それ』か、なんらかのお前たちの系列の概念の力を使う必要があるだろう。
 ははは、完成だ……これで、桜花が覚醒する」
 神楽は心底楽しげに、二人が戦っているであろう方向を見た。

 速度で桜花が上回った時点で、もはや試合という意識を捨てた。
 さまざまな方法で止めようとしたが、桜花は止められなかった。
 体の一部を止めても、そこを切り落として再生させ、攻撃を透過し、並の手段では止めようがないとわかった。
 ならば、これを使う以外に、残った方法はない。
 必要最低限度の力で、桜花を止める。周囲にいる者たちは世界でも類を見ないほどの強者たちの集団。今は彼らがこれを察知して、力を合わせて余波を防ぎきってくれることを信じる。
 だから周りはほかに任せ、自分は目の前の問題に集中する。
 桜花を止める、そのために紡がれる言霊は―――
「我、“在るべき者共達の君主”へと望む」
 暴走していた桜花がぴたりと止まり、顔を上げる。
「百億那由他の可不可是非を超え」
「アグナ……ストリア?」
 桜花の周りに数々の円陣が浮かび、魔力が渦巻く。
「三千世界の蒼染を」
「あ……ああ、あああああああああああああああああああ」
 渦巻く力が一気に高まりだしたとき、突然桜花が叫びをあげた。その桜花に、暴走していた力が集まっていく。
 その様子に気づいたハンナベルは、詠唱を一時的にとめ、状態を維持して様子を見る。
「ああああああああああ、あああああ、あああ、ああ……あ」
 集まってきていた力が一気に集束し、桜花が普段通りの姿に戻る。
 暴走していた力も、各種武装も、髪や服も発動していない、本当に普段通りの姿に。
 それを見たハンナベルが、魔法を止める。必要がない状況で使うには大きすぎる力だからだ。
 うつむいていた桜花が、ハンナベルの方へ顔を向けた。
 ハンナベルがその視線から感じる威圧感、雰囲気、力、全てがさっきまでとは全く違った。
「銀鱗龍、アグナストリア、師匠、代行体、情報概念、閃光、天秤、概念召喚……いや、概念置換か?……なるほど、あなたたちと、師匠や今の私は根本的に質の異なるものだったわけだ」
 ハンナベルは桜花を油断なく見つめる。どうもこれで終わりという雰囲気ではない。
「理解しました。あなたはこちらを知らないようだ。もとより遠いもの、知らなくて当然。続けましょう、試合を。今ならあなたと本当に戦える」
 その幽鬼のような桜花と相対するハンナベル。
 数秒の沈黙。
 その沈黙を破ったのはハンナベルで
「いいだろう。決着をつけよう……とはいっても、むしろこれからが本番か」
「ええ、では、こちらもまだ最低位とはいえ我が体系の『概念の代行体』。あまり見苦しいところを見えるわけにはいけませんので」
 二人の対峙は、数秒の後、概念の交錯へと変わった。

続く?


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