「幕間劇・銀鱗亭にて-3」   作:龍眞





暁闇を染める紅


 銀海に面す浜が紅蓮に染まる最中、メイムナーの甲板から見守った。
 ガルガディア艦隊の上空では空中戦も展開されている。
 帰る場所を失ったクゲンにとって国というものに感慨もなければ執着もない。
 戦場を転々とした昔も今も、風が吹くように居るだけだ。
 振帝国に組したこともあればロマル王朝に組したこともある。奴隷制度に反発したレジスタンスに加わったこともあった。
 思想の違い、種族の違いから起こる諍いは尽きない。争いの火種は静まることを知らないようだ。
 だが―――
(成し遂げた)
 もっと早く、あるいは自分がもっと遅く生まれていたのなら。
(詮無いことじゃな)
 喪ったものは取り戻せない。
 風向きが変わる。逆巻いた炎の向こうに、東大陸を統一した男がいるのだろう。
(この戦、勝ちはザイランスが得る)
 参戦している旧知は無事だろうか。
 戦場で出会い、束の間共に戦った朋たちは。
「……」
 刀の柄に手をかけ沈思したクゲンは背を返した。
 今一度、戦場に出でて成せることがあるのか胸に潜めて。


可愛いものには触りたい


 銀鱗亭は傭兵、兵士、冒険者たちに寝食を提供する他、戦地となった土地の者や、戦災被害者を保護し支援する面も併せ持つ。
 開戦時、敗退を余儀なくされ間を置かず奪還と防衛戦の為に兵力を分けたザイランスは難民を多く出していた。
 負傷者を引き受けた救護の手も足りず、宿泊者の中から募っている。
 銀鱗亭精鋭の防衛、警備隊も戦場へ出た者もいるようで内部関係者は対応に追われていた。
 そんな中、保護された子どもたちは恐い思いから解放されて巨大な宿の中を探検している。
 包帯が目に付く子もいるが、安静を言い渡されるほどではないようで、元気に走り回っていた。
 回っている内に見つけた生き物にわっと群がったのも、それが愛らしい姿の生き物だったせいもあって大喜びだったのだ。
「ミャッミャミャミャーン」
「「「まてーーー!にゃんこー!」」」
 ドタバタと街エリアを駆け回る子どもたちの賑やかな声がコダマする。
 銀鱗亭に着いて間もなく、彼女は他の宿泊者、宿関係者たちに可愛がられていた。見た目が胴の長い『猫』の外見を持つのも要因だろう。
 それはもう、撫でる触る抱っこされるもみくちゃにされる、耳をホムホムされる等など言葉どおり『フルもっふ』だった。
(竜族のわたくしがっくうううっ)
 彼女の心中は複雑である。
――― 彼女をモフった者は至極癒されているが。
(このままでは本当に家猫と同等に!!)
 にゃってしまうにゃ!
「「「にゃんこー!!」」」
「みゃーん」
 力いっぱい抱き締めてくる子どもは中々放してくれない。
 翼を広げ、低空飛行に入った彼女は恩人の背中に潜り込んだ。
「!…と、とと…お嬢か」
「「「にゃんこー!」」」
「んー?……ふうむ」
 追いかけてきた子どもの集団が眼に入り、得心がいく。
 ものの加減がまだわからない子ども相手では逃げもするだろう。
 彼女は、よく調理場に逃げ込んで匿われている。調理場のツートップの鉄壁のおかげで、一時間だけは構われるのを許容しているらしい。
「おじいちゃん、ねこの主人なの?」
「旅の連れじゃなぁ」
「遊びたい!」「あそぶ!」「ねこと遊ぶ!」
「ほほう」
 背中越しに緊張しているのが伝わってくる。
 ジリジリ寄って来る子どもの一人がさっと背後に回りこもうとするのをひょいと躱した。
「あ!」
「えいっ」
「ええー!!」
「もうー!」
 ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ!
 難なく伸びてくる手を躱してクゲンは笑った。
「お嬢と遊びたかったら儂を捕まえてみろ」
 白髪を結わえた老人の言葉に、姿、形様々な子どもたちが戸惑った。
「ここから、ここまでの間でな。働いている者の邪魔をしてはいかぬ。この先は、怪我人が休んでいるから静かにな」
「おじいちゃんつかまえたらにゃんことあそんでいいの?」
「捕まえられたらな」
「ミャーン」
「「「やるーー!!」」」
 クゲンの背中から聞こえた鳴声に子どもたちの目が輝いた。
「よしよし。捕まえられたら甘いもんご馳走するぞ」
「「「やったーーー!!!」」」
「それでは、はじめようか」
 トンと踏んだ地を退る。キョトンとした顔が笑い顔に変わって向かってきた。


だからやっぱり子ども扱い


「…」
 ふと、周囲を見回して覚えた違和感に首を傾げた。
 足元をすり抜ける子どもや泣き声が聞こえない。回復も早ければ慣れるのも早く、あまる元気はよかったなと思うが激忙中には頭が痛い。
「あれ?」
 きょときょと見回したら同じ方向を見ているアルモニカとハンナベルの姿が入った。
「何を見てるんですか?」
「ビアンカか。なに、子どもが遊んでいるのを見てただけさ」
「あーだから今日は静かなんですね」
「鬼事をしているようでな。丸くなったものだ」
「丸くなったって…」
 見守る視線を追いかけてその様子を眼にしたビアンカは、二度見した。
「あのぉ〜おじいちゃんが混じってますよ?」
「ああ、だから一緒だろう」
「アルモニカに叱られた後は、ああして他の子らと遊んでいたものね」
「ええっとぉ〜」
 紺色の羽織を翻して、飛んできた子どもの腕を躱す。
 かなり身軽な人物のようで、縦横無尽に攻めてくる子どもたちの包囲を脱した。
 きゃらきゃらと上がる歓声は底抜けに明るい。
 見ていれば一定の範囲に留まっているようで、物資の運搬や通行の流れの外にいた。
 つい最近まで泣いていた亜人の子どもが加わっているのを見て眼を瞠る。
「お前は知らなかったか。九玄は一時期ここで子守もどきの事をしていたことがあってな」
「そうそう。五〇年前と同じだね」
「ご、ごじゅうねん…」
 だからなぜ『一緒』と一括りにするのか。
「子どものままだろ」
「え……えっと……(おじいちゃんにしか見えない)」
「さて、おやつを用意しておかなくてはな。ビアンカ、彼らに届けておくれ」
「え、は、はい!」
 ドウっと上がった声に眼を戻せば、彼らの鬼ごっこに加わる“大きな子ども”がいた。
「……」
「皆子どもだね」
 そりゃぁ、竜からすれば子どもだろうなぁと、ビアンカは思った。

「あ!あの時のカワイイ生き物!」
「おや、お嬢の知り合いか」

 ハンナベルお手製のおやつを届けに来たビアンカは羽織から顔を覗かせた猫龍と再会した。
 この鬼ごっこ、仕舞いには宿泊者やらスタッフも混じって遊んだようだ。


人と竜の些細な差異


『命の御恩をお返ししたく』
 きっぱりはっきり言う猫龍に嘆息し、片や恋煩うもう一人が頭を過ぎる。
「いっそ転化しろ」
 そうすれば言葉も通じるだろう。
 横から見てればどうしたってそう“見える”のに自覚のない娘に告げた。
 『あ』と口を開けた猫龍の方はまったく思い至らなかったらしい。
「お前な」
『そうですね。人間に化ければいいのですね!』
 花を飛ばすな、花を。
 この状態にあってもこの猫龍は「恩返し」と言い切るのだ。
 誰か教えてやってくれ。
「独りのようだから行動次第だろう。迫るなり泣き落とすなり試してみるんだな」
『奏竜様?仰る意味がよくわかりませんが』
「お前…本当にわからないか」
『???』
 それにしても…浮いた噂も立たなかったクゲンだが、巡ってきた春がこれでは多難の前に頓挫しそうだ。
 関わる気はないが、気にはかかる。
 ぐりぐり頭を撫でて心中の溜息は飲み込んだ。
 これが数時間前の話であり、いそいそと何やら準備している好々爺の襟首を捕まえれば幸せそうな顔が見えた。
 聞けばお茶会に行くのだという。甘いものが好きな彼は茶菓子と茶葉を揃えたところだった。
「まぁ、いいんだがな九玄。お前、結局独りなのか」
「縁がなかったのでしょう。さして不自由も感じず、老いましたなぁ」
 カラカラ笑う人物は、恋されていることに気付いていない。
 相手が相手だというのもあるのだろうが。
「お前、まだ七十だろう(76歳)百年も経っていないじゃないか!」
「ええ、ですから老いたと申しているではありませぬか」
 真顔でまだ若い!と言われ、シワ顔を苦笑に滲ませた。

 ※
――― 宿泊エリア、海側の部屋。
 単身泊まっている室に戻ってきた猫龍はその姿を転じた。
 もっと早く気付いていれば感謝も伝えられただろうに。
(わたくしとしたことがすっかり失念してしまって)  いそいそと着物(頂いた)に袖を通した彼女はハタと動きを止めた。
(…胸)
 モフりの海の渦中で聞いた会話を思い起こした。
 恋話から可愛いもの談義、果ては猥談まで入った雑多な会話の中、乳派と尻派に分かれたあの論争を。
 ぐでぐでに疲労していたので内容は抜けているが、種族問わず、世の雄は胸が大好きらしい。
 なんでも大きい方が『イイ』と言っていたようなないような…誰の言葉だったろうか?
(胸…)
 再度、彼女は着かけのまま考える。
 恩人の好みはどちらだろうか。
(…………)
 そろりと視線を下げ、彼女は思い悩むことになった。



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