「幕間劇・銀鱗亭にて-2」   作:龍眞





厨房の主

 ごった煮返した酒場に束の間の静けさが舞い降りる。
「うん、落ち着いたようだね」
 翌朝の仕込みも終えた。磨き上げた調理場を見渡して頷く。
 夜警に就く者の夜食の食材を確認し、酒瓶にかじりついている数名が残る酒場内に一瞥投げて、足元に声をかけた。
「もう出てきても構わぬよ」
「みゃぁ」
 弱りきった鳴声がそろりと這い出てくる。
 もみくちゃにされた猫龍は困憊していた。縮こまる娘を膝の上に抱き上げて、乱れた毛並みを整えてやる。
『銀鱗竜様!そんな畏れ多いっ毛づくろいなど自分で』
「遠慮せずともよい。竜族が顔を合わせることも稀だろう。ここはまぁ、多いが。人前に姿を見せぬ其方らだが、何かあったか」
『……窮地を人間に救われました。その恩を返す一心で野に降りたのですが』
「ふむ」
 眼を伏せた娘の落ち込みに頭を傾げたら、調理場に影が差した。
「ライブラが心配していたぞ猫龍。九玄も探していたからこちらへ来るよう言っておいた」
『クゲン様が!』
 ぱっちり開いた瞳が生彩を取り戻す。
 その鮮やかな変化っぷりに古の竜はそれぞれ目を細めた。
「おや、九玄の連れか。さっきは話もできなかったしな。どれ、軽く作ってやるか」
「お前はこっちだ」
『はい』
 一礼し、ハンナベルの膝から降りた猫龍はアルモニカの後ろに続く。
 カウンターの椅子にすらりと乗った猫龍を見下ろして、奏竜は溜息をついた。
「あいつは昔から魔法にフラれる体質でな。兎に角、相性が悪い」
『ですが…奏竜様。わたくしも末席ながら竜に連ねるものです。命の恩を返さずして天寿をまっとうできましょうか。例え、家猫並にしか役に立たずとも、わたくしはクゲン様のお役に立ちたいのです』
「…なんでまた命の危機に陥ったんだ」
『……』
 慎重な種族である。棲家とするテリトリーも入り組んだ岩室、洞を選び、外敵に対して不利にならぬよう知恵を巡らす。
 あるいは契約者を得、魔法知識と引き換えに己の身を守ってもらうのだが…。
『岩場に足を取られて……あわやな状況に』
「…………………」
 無言で眼を閉じた奏竜が猫龍の逆鱗に触れた。
「〜〜〜〜〜〜!!」

「あまり若いものをいじめてやるなアルモニカ」

「無防備すぎるぞ。その弱点」

「みゃーみゃー!」(訳:重々承知しております!)


端から見ればそれは春

「賑やかと思えばお二人揃ってお出ででしたか。と、お嬢」
「久方ぶりだね九玄。見ぬ間に育って老けたねぇ」
「老けもしましょう。あれから五十年近く過ぎております」
「噂だけは届いていたぞ、それもとんと聞かなくなったが」
「大陸をあちこち流れておりましたよ」
 戦場の嫌われ者だった面影は、皺が刻まれた顔にはもうない。
 若い頃の暗い目の色は消え、どこまでも穏やかさを乗せて和む眦からは好々爺の印象しか受けない。
 これがあの悪名高き『鬼藤』だとは、過去を知る者は思わないだろう。
 アルモニカの鉄拳を受けて完治後、戦場に復帰した時も驚かれたクゲンの前身を知る二人は流れた歳月を読み取った。
 どちらも永い永い月日を生きる竜だ。
 人の身に流れる時間は竜の目からすれば瞬きの間に過ぎていくようなもの。
「ひとまずは、銀海の戦を見ようと。かつての知己が参戦しているようで、少し」
――― 気にかかる。
「エメラルディアはいいのか」
「あちらには鬼謀の軍師殿がおりますからなぁ。統一戦争では苦渋を舐めたものです」
 彼の奇策に散々踊らされたものである。
 最も、先を読む眼も優れていた現軍師は腐敗していた振帝国に見切りもつけていた。
「統一戦争にも居たのか?」
「手が空いておりましたのでな。といっても加わった頃にはもう決着もついておりましたが」
「生涯現役か。なんにせよ、あの時の子どもが久々に顔を見せたのだから。クゲンの好物は知っているよ!」
「子ども扱いはそろそろ…覚えておいででしたか」
 ほっこり顔が綻んで、皿に乗せられた牡丹餅に手を伸ばす。
 大の甘党のクゲンが喜んで平らげていくのを見、こんなところは変わらないなと奏竜は頬を緩めた。
 いつの間にやらクゲンの肩先に控える猫龍に目を移し、切り出す。
「で、どうする気だ?」
「あ。そうでした。大陸が落ち着くまでは移動も危ないでしょう。元の住処へ帰すことも考えており、今しばらくはこちらに…お嬢?」
「ミャーミャーミャー」
「「………」」
「ここまでつき合わせてすまぬな。竜族はなにかと狙われやすいのに、いた、いたた、違うのか?」
「ミャウミャウ!」
「「……」」
「ええ、と、お二人とも何故顔を背けられるのです?竜の言葉はわかりませぬ。お嬢はなんと?」
「にゃううう」
「わっ、な、泣かせるつもりはなかったのじゃ、すまぬ!お、お嬢…お二方!!」
「春だな」
「春だねぇ。明日はお赤飯を炊いてやろう九玄」
「ええっ?仰る意味が判りませぬぞ、アルモニカ殿!ハンナベル殿!」
 うろたえる年寄りに対して、遥か年上の二人は温かく見守った。
『帰すなんてご無体な!置いてかないでくださいクゲン様!せいいっぱいお役に立ちますっ魔法の他に見つけますから、どうかどうか、謝らないでくださいませ。勝手についてきたのはわたくしです。クゲンさまっクゲンさみゃあぁあ』


初 見

 部屋で休もうと廊下を歩んでいると、他の宿泊者とすれ違う。
 ちらりと見かけた者は手練のようで防衛担当の剣士が気になった。
 見目の麗しい青年だったが、さて手合わせしたら何合まで打ち合えるか。
 イメージを描く前に、目線がふと合った。
 クゲンの身長も若い頃より縮んだ為、小柄な方だが更に小柄な人物だ。
「…」
「……」
 いとけない顔立ちの少女。整う輪郭が描く頬の膨らみも愛らしい。
 肩先で遊ぶ黒髪が照明を弾いて艶やかしく、将来が楽しみな美少女だ。
 少女を取り巻く凛とした空気が、いとけなさと相まって眼を惹き付ける。
「……」
「…」
 互いに道を譲り、すれ違った瞬間。
―――ピン
 と糸が張り詰めて切れる。
(ふむ中々に)
(ほほう、あの者)
 遠ざかりながら得た印象。
『出来る!』
 肉体強化を繰り、多様な戦闘を展開する『エアリード・F・バチスカーフ』―――呼び名をエアリィ。
 少女の容姿を跳ね除ける優れた武人である。


後に語り合う武人(しかし横から見ればじーちゃんと孫)

「先ほどは」
「おや、先の廊下で」
「クゲン・トウドウと申します。よい剣をお持ちで」
「ワシはエアリィ。そちらもよい刀と腕を持っているな」
 甲板に向かう途中に、再び顔を合わせて自己紹介する。
「クゲン殿はどちらへ?」
「少しばかり風に当たろうかと、と言うのは建前で。様子見に出ましたら年寄りは引っ込んでいろと叱られましてなぁ」
 肩先に猫を乗せたクゲンの言葉に、ピクリと眉が動く。
「それは黒いサングラスをかけた男ではないか?クゲン殿」
「ええ。威勢のよい若者でしたな!」
「ほほう」
「ははは、若い者に心配されるのは久々でして…エアリィ殿?」
「ニャー」
 ハイハイと頷いて戻ってきたのですよ、と続けるつもりだったクゲンは廊下を見回す。
 変わりに返事をしたのは猫龍の連れだ。
(ニコニコ微笑まれて行かれました)
「ふむ、エアリィ殿と手合わせしてみたかったのう。ま、儂の負けじゃが」
 カカカと笑うクゲンの方は兵揃いの銀鱗亭にワクワクしているようだ。
「一合くらいは堪えたいが、速かろうなぁ…」
「にゃー」
 無茶も程ほどにしてください。
 という想いを込めて相槌を返すお嬢の声と、手合わせ誰ぞせぬかいのうーと武人の血が逸ってるおじいちゃんの声が仲良く遠ざかっていった。


 そして二章の幕は上がる。


若いもんに言われた台詞
「アアン?ジジイがんなとこに出てくんじゃねぇ!移動中といえ物騒なんだよ!年寄りは猫でも抱いて茶ぁシバイてろ!」



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