「幕間劇・銀鱗亭にて-1」 作:龍眞 また後で 月下平原から移動を開始した銀鱗亭にチェックインしたクゲンはもう一人の旧知の姿を求めて調理場に姿を立たせた。 回復した連れは肩先に控えていたが、何か惹かれるものを見つけたのか離れている。 立ち昇る湯気、香ばしい揚げ物から炒め物、スパイスを効かせた煮込み料理の匂いが雑多に溶け、立ち動くスタッフが出来上がった料理を台に並べていく。 体を休める者より、酒を求め冷めやらぬ戦況の予想を立てる喧騒に包まれている酒場内の熱気は昼間の砂漠のようだ。と言うのは言いすぎだろうか。 調理場の激化を見て出直そうと思い直したところに、大鍋の向こうの湯気が晴れる。 「誰かと思えばあの時の子どもじゃないか」 「お久しぶりです、ハンナベル殿。落ち着いた頃に参ります」 「ああ、っと。すまない、今は手が離せぬ」 銀鱗亭の調理担当者―――『ハンナベル・グラスドール』。こちらも五〇年前と変わらないあどけない面立ちの少女のまま目を細めた。 よくもまぁ、あの荒みきった子どもがここまで年月を重ねたものだ。 和んだ瞳は湯気の向こうで心なしか潤んだように光る。 会釈し、邪魔にならぬよう立ち去る背中を見送り、拍車のかかる注文に答えるべく鍋に向き直った。 発 見! 一方で、恩人の肩先から離れた猫龍は、感じた魔力波動の源を探っていた。 人とも違う、竜とも違う、精霊に近いような波動である。 多種多様な種族が雑談を交わす中で彼女は真剣だった。 どういうわけか言葉(テレパスも不可である)が通じず、胸に溢れる真情を伝えたいというのに叶わない。 剣士らしいという事と、名前をやっと知り(旧知が呼ぶのを聞いて)、ならばこの知識をお役に立てようと燃えた彼女は、この恩人が魔法と相性が悪いらしいという事実に気付いた。 彼女を含め、猫龍は親の魔法知識を引き継ぐ。肉体強度は家猫と並ぶが、その魔法知識は現存していない魔法まで含まれるのだ。ただし、この種族は魔力が極端に少ない。 身に流れる竜の力は古いのだが、知識に見合う魔法を発動させるポイントが、数値にして『5』ポイントしかない。 永い寿命は少ない魔力と脆弱な体力の前に夭折しやすかった。 細々とグラディウス山脈から得た魔力で生き繋いできた種族である。 そして…彼女の系譜は攻撃魔法に関する知識を保有した。得てして魔力を消費する系統だ。 (補助系の魔法を扱えればお役に立てる!) 長躯を操り、見出した波動に向かって彼女は縋りついた。 『もし!そこ御方〜〜〜〜!!!』 『!?』 休憩に入ろうとしていた給仕スタッフの肩が跳ねる。 すらりと伸びた肢体は制服の上からもしなやかで括れたウエストに釘付けになり、豊満な胸が眼に入れば鼻の下も伸びるのは男の性だろう。 それくらい見事なプロポーションの持ち主だ。 『お時間よろしければ、ぜひっわたくしに』 『???』 『読ませていただきたくっ!!』 キラッキラに煌めく真紅の双眸は、くっきりと呼び止めた給仕の顔を映し出していた。 『…え、ええ。はい』 伸び上がる長躯の猫に向け、ビックリマークと疑問符を数回浮かべた給仕スタッフは、ややあって頷く。 美しい肢体の上にある顔は、ブロンド美女でもなく黒髪美女でもなく、一冊の本だった。 じーちゃんと孫(にしか見えない) 街エリアに行ってみようかと足をそちらへ向けたクゲンはグン!と引き止められる。 ハッと引き締めた気は背後を振り返り、徐に視線を下げて困ったように瞬いた。 「テシラ殿もお久しゅう」 「……」 「あのー」 銀鱗亭給仕、幼顔のこのスタッフも見知っている。 こちらも記憶と寸分違わぬ容姿のままであった。『テシラ=ラスネ』…引き止められた心当たりがある。 「まこと、申しにくいのですが、コレはダメですぞ」 「……」 「白冴(しらさえ)は差し上げられませぬ」 「……」 「テシラ殿。ダメです」 「……」 愛刀の鞘を両手で掴む彼女の視線は鞘(その中身)に固定されている。 昔もあったなぁ……とクゲンは思い返したが、刀を食べられてしまっては困るので。 「手元にあるのは、あったあった。…これで勘弁してくだされ」 「………」 懐から取り出した鉱石に視線が動く。 小さな手のひらに乗せて鞘を離してもらい、彼女が食べているスキに退散した。 (危ない危ない。手土産にいくつか持っておくべきじゃったなぁ) 彼女の主食は鉱石である。 にゃんですと!? 『ライブラ・リラー』――― 銀鱗亭の給仕スタッフで、猫龍が縋りついた相手の名である。 混雑する広い酒場の壁際に、彼女と猫龍の姿を認められた。 調理場に近く、カウンター寄りだ。大皿を抱える仲間、空いた皿や酒瓶を片付ける仲間が視界に入る位置で彼女は本の顔を猫龍に向けていた。 人とも竜とも違う魔力波動の持ち主、ライブラ・リラーは本人間だ。 見るものを惹き付ける美しい肢体の上にあるのは一冊の本。 その本の顔に彼女の言葉が浮かぶ。 年月を経て魔力を持った本が自我を持ち、姿を得、この銀鱗亭で働いているという事を本人から聞いた。 対する猫龍も奥地から出でてきた訳を話し、思いのほか会話は弾んでいた。 『では猫龍さんはご恩返しのために一緒に来られたのですね』 『ええ。命の恩をお返ししなくてはとても気が収まりません。お忙しい中ごめんなさい』 『いえ、ちょうど休憩に入ろうとしていたところですから』 長い胴体をライブラの腕に支えてもらい、じっとライブラを覗き込む猫龍は文面を追う。 左手側に彼女の言葉が浮かび、右手側にライブラが保有する知識が浮き出していた。 『補助系と言っても分類は広いです。肉体を強化する魔法でしょうか?』 『ええ!…物質に魔法を付加するものも考えましたが、そちらの方がお役に立てるやもしれません』 『それなら、628ページの強化呪文の…』 心を持って五年――― 神が創造した芸術と言って過言ではない女性の美を集めた究極の肢体。 うっとり見惚れる魅惑的な身体のおかげで不躾な視線に辟易していたライブラは、宿る知識を瞬時に選択し、顔に浮かべる。 銀鱗亭の日常は楽しく可笑しく、時にデンジャラスで退屈することがない。集まる連中は武器を取り戦う兵士、傭兵が主だから知識を求められるのは珍しい方だ。 ライブラ自身が魔法を使ったのは最近のことで、大事になる前に使うようになった魔法は詠唱を省略して発動できる。 その呪文がすでに本体に書き込まれている為で、詠唱時間によるロスがないライブラは敵に回せば非常に戦いにくい相手になるだろう。 ライブラの気のやさしさが争いを避けるので滅多なことではそのような事態にはなるまいが。 「ニャーニャーミャウミャウ」 「………」 「ニャァ?ニャウ…ニャウミャー」 「…………」 「ミャーウー」 しかし端から見ていると、まるっきり『本を読む猫』だ。 ――― 猫?なんか猫の声しねぇ?どこだ?もふりてぇ!子猫とか可愛いよなー!可愛いは正義! 酒場の喧騒に紛れて隣の声も聞き取りにくい中、彼女たちには関係なかった。 『あっ!このスピードを上げる魔法を!』 『これなら術の効果が切れた後も負荷がかかりませんね!ちょっと魔力消費が大きいですけど』 『ええ。でも契約後、わたくしの魔力と合わせて行使しますから…これで!』 目当ての呪文と効果の内容を読み、喜色に弾んだ猫龍の背後を、ちょうどアルモニカが通りかかった。 「あいつのMP15だ」 「ミャッ」 『ああっ猫龍さん!』 にゃんですとぉおおぉおおお!!! 衝撃に打ちのめされる細い鳴声が、酒場の喧騒に呑まれた。 これでもドラゴン 『MP15…にゃんてことにゃの、15!ただでえ少ないわたくしに輪をかけてクゲン様までも少ないなんてっううっにゃうううっこれではサポートどころか!うにゃうううう』 『ほ、ほかにもきっと何か方法が』 『ライブラ様っ』 恩人の魔力の少なさに『魔法でサポート』は絶望的である。 ニャウニャウと紫がかる黒い毛並みの猫龍はライブラの胸で泣いていた。 その背中を励ますように撫でる本人間は猫龍に同情している。 『これでは家猫と変わらないっ魔法が使えぬ猫龍など懐炉程度しか役に立たないっ』 『そんなことないです猫龍さん!諦めないでください、魔法の他にもできることはある筈です!』 『ら、ライブラさみゃっ!』 宝石のような真紅の瞳が感謝を湛えて潤む。 「ライブラばっかりずるーい!」 「ふみゃっ!?」 『ビアンカさん!』 ライブラの同僚、ビアンカ・ベーレントが加わった。 彼女は銀鱗亭の給仕と警備を勤め、射撃のセンスに優れている。溌剌とした性格で、物言いもさばさばとした彼女はライブラの親友だ。 「胴が長いけどカワイイ!これも個性よねっ」 「ミャァ!ニャーニャー!」(訳:胴が長いですって?これでも暦とした竜に連なる我が種族っ) 『び、ビアンカさ〜ん』 「カワイイカワイイ!この宝石みたいなの何かなー?」 「フミャっ!?」(あっこら何をする!気安く逆鱗に触れるなっやめっミャアン) 「あらら」 『………』 「ゴロゴロゴロゴロ」 「もうなにこのカワイイ生き物ーーー!」 「ミャーンミャーン」 猫龍最大の弱点、逆鱗を撫でられて懐柔された。 一秒もかからない篭絡ぶりだった。 うにゃううにゃう、と普通の猫サイズなら相手にじゃれているところだろうが長い胴のおかげで、 「そおれ!」 「ミャーン」 グルリグルリとくねる様は『ウナギの舞』にしか見えない。 『も、もうそれくらいにしてあげたほうが』 「ええー!」「猫だー!猫がいるよー!」「なんだって猫ー!?」 『くっわたくしとしたことがっは?え?な、なにご…』と? 『!!!っ猫龍さん、逃げて!』 「「「フルもっふーーーー!!」」」 『!?』 時、既に遅し。 癒しを求めるのは何も荒くれものばかりでは、ない。 目次へ戻る |