「ビアンカの憂鬱その二」   作:暇人





 とある日の銀鱗亭での一コマです。

「ねぇねぇびあんかー」
 ぼんやりと考え事をしながら歩いていたビアンカに声がかかりました。
 声がした方に目を向けると、だぼだぼの衣装に身を包んだ幼い少女がビアンカを見ています。
 蒼い髪に黒狐独特の黒く尖った耳を持ち、無邪気な視線を投げかけるのはミリィ=テスタリアです。
 「どーしたのミリィ?また変なおじさんに話しかけられたの?」
 「ちがうよー?おじさんやさしかったよーだってアメくれたもん!」
 それって典型的なアブナイ人なんじゃないだろうか?と思いましたがミリィが言いたい事があるようなのでそちらを先にします。
 「それで、どーしたの今日は?」
 ミリィは首を傾げながらやっぱり無邪気に尋ねました。
 「びあんかって“ひんにゅー”なの?」
 「!?」
 ビアンカは開いた口が塞がりません。
 「“ひんにゅー”っておっぱいない人のことなんでしょ?」
 「ちっ、違いますぅー!人よりちょっとだけ少ないだけですぅー!」
 まさか無邪気を固めて作ったようなミリィの口からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったビアンカは動揺で何故か敬語です。
 実際には無邪気故の発言なのでどうしようもないのですが。
 誰だミリィにそんな言葉教えたヤツは見つけたら蜂の巣にしてやる。などとちょっと物騒な事をビアンカが考え始めていると、ミリィが懐からなにやら取り出しました。
 「だからね!コレ!びあんかにあげる!」
 手に持ったソレをビアンカに差し出します。
 目の前に差し出されたソレをビアンカはまじまじと見つめます。
 大きさは丁度手の平に乗るくらい。色は肌色で、おおよその形は半球と言ったところでしょうか。かなり柔らかそうで、ミリィの手の上でぷるんぷるんと豊かに揺れています。
 その姿は、例えるなら、そう、まさに女性の豊かな乳房を連想させます。
 そしてなぜか目と口が付いています。
 「・・・・・・・・・・・・これは・・・・・・なに?」
 おそるおそるビアンカが尋ねます。
 その瞬間ミリィの表情がぱぁっ、と輝いて元気良く答えます。
 「おっぱみ!!」
 (・・・おっぱみ!?なにそのギリギリな名前!?というか何これ生物?いやむしろ静物!?いやいやいや!!そーじゃなくてなんで目と口付いてるの!?しかもなんて和んだ顔をしてらっしゃるの!!というかコレを一体どうしろと!?)
 この間およそ0.3秒。
 「・・・え、えーっとミリィ?これは一体どうする物なの・・・?」
 非常に複雑な表情でのビアンカの質問その一:どのように使う物か?
 「これをね!ムネのところに入れればびあんかも“きょにゅー”になれるよ!!」
 回答:豊胸パッド。
 「・・・あ、ありがとうー・・・で、でもこれって生き物なんじゃないかな〜?生き物をそういう風に使うのってちょっとカワイソウじゃない〜?」
 若干引きつった顔でのビアンカの質問その二:動物虐待に抵触しないか?
 「だいじょうぶだよ!だってこれ食べ物だもん!」
 回答:大丈夫だ、問題ない。一番良いパッドを以下略。
 (・・・・・・食べ物!?食べるの?・・・・コレを!?・・・・・・・・・どうやって!?)
 あらゆる疑問がビアンカの中で蜷局を巻き、なんだかビアンカは頭がぐらぐらしてきました。
 すると・・・
 「こうやってね!がぶーってかみつくとオイシイんだよ!!」
 ミリィが手に持っていたおっぱみにがぶりと噛み付きました。
 その瞬間。
 それまで例えるなら、休日の午後日の当る暖かなソファで傍らにネコでもはべらせて眠っているおじいさんの目、的に閉じられていたおっぱみの両目が、
 くわぁッッ!!
 と見開かれました。
 丁度前にいたビアンカはおっぱみにガン見されています。
 (怖ッッ!!なにこれ怖ッ!!)
 ビアンカ内心ドン引きです。
 「おいっしーーー!!びあんかも食べる?」
 はたはたと尖った耳を動かしながら無邪気にミリィはおっぱみを勧めます。
 「あ、あたしお腹いっぱいだから〜ごめんね〜ミリィまた今度ね〜」
 冷や汗を滲ませ、後ずさりしながらビアンカはその場からの脱走を試みました。
 (・・・・・・ぜったい夢に出る)
 ちょっと涙目なビアンカでした。

 * * * 

 「あははははははっ!」
 銀鱗亭の厨房に笑い声が響き渡ります。
 「もぅ!笑い事じゃないですよ!ほんっとにびっくりしたんですから!というか怖すぎです!誰ですかあんな物を銀鱗亭に持ち込んだのは!?」
 ミリィの元から逃げ出し、ビアンカが駆け込んだのは、銀鱗亭の厨房で毎日客の舌を唸らせる料理人であり、“銀鱗亭のオカン”的立場に立っているハンナベル=グラスドールの所でした。
 幼い少女のような姿のハンナベルですが、頭の角や尾から分かるように、本来の姿は竜で、かつては“魔王”とまで呼ばれた事のある古龍です。
 ですが今では銀鱗亭の厨房で、毎日次から次へと襲いかかって来るオーダーと戦っている料理人(竜)です。
 「そうかそうか、おっぱみをねぇ・・・くふふ、あれは初めて見ると確かに驚くだろうな」
 笑いながら鍋をかき混ぜるハンナベル。
 ビアンカは椅子に座ってハンナベルに話かけます。
 「ねぇハンナさん。ハンナさんは何か知ってる?胸おっきくする方法」
 ハンナベルは困ったように頬を掻きます。
 「う〜ん・・・いかんせん妾は竜だから人間の成長に関してはなぁ・・・・」
 「・・・ですよねー」
 ハンナベルの身体を見ながらビアンカは力なく言いました。
 「むっ、今妾の姿を見て言っただろう。妾だってあと数百年もすれば人間の姿はシャルヴィルトみたいになってみせるよ」
 その時、
 「これビアンカ、また御前仕事サボって油売りおって」
 突然ビアンカに声が掛かりました。声がした方を見ると、そこに立っていたのは防衛隊の教官であり、食堂の調理係であり、先日ビアンカを訓練と称して宙にぽんぽん放り投げたエアリィでした。
 「御前は真面目な所があるかと思ったら時々いなくなっては昼寝したり立ち話をしたり、まったく・・・・・・・・・な、なんじゃ?ワシの顔に何か付いとるのか?」
 ビアンカを叱ろうと思ったエアリィでしたが、当のビアンカに間近でまじまじと観察されている事に気付いて言い淀みました。
 「・・・・・・・・・エアリィさんも・・・(胸)ちっちゃい」
 その途端エアリィは顔を真っ赤にして怒鳴り散らします。
 「なっ!・・・ちっちゃいだと!?ワシを子供扱いするでない!そもそもいきなりなんじゃ!?女の魅力は大きければ良いと言う物ではなかろうに!!」
 エアリィは場合にもよりますが、基本的に子供扱いされるのが嫌いなのです。
 その時、
 「そのとぉおおーーっりッ!!」
 どこからか野太い叫び声が飛び込んできました。
 何事かと見回すビアンカ達。
 すると、
 「ちょっとそこで ぼ・ん・や・り(訳:盗み聞き)してたら、とてもスバラシイ言葉が聞こえたからね。ちょっと失礼させてもらうよ!」
 物陰から突然身長180p以上はある金髪の中年男性がそれはそれは楽しそうに飛び出してきました。
 その顔を見てビアンカは声を上げます。
 「あ、あなた!ミリィにアメあげてた人でしょ!なんでこんな所にいるのよ!?」
 「おやおや・・・これでも一応僕は客なんだけどね・・・まぁいいよ!今回はそれどころじゃないからね!」
 いやいや客が厨房に居んのは明らかオカシイだろ。という皆の疑問は男性の異常なテンションの前に華麗にスルーされます。
 「そこの小さな給仕さん。エアリィちゃん、だったかなっ?キミは言ったね。“女の魅力は大きさじゃない”と!!まさにその通りだよ!!女性の魅力は身体の成熟度なんかで決まるものじゃないのさ!ましてや胸の大きさ一つで女性の美しさが決まってしまうなんて、それはもはや女性に対する侮辱だと僕は思うね!!」
 すると、
 「で、ですよね!?胸の大きさなんて二の次ですよねっ!?」
 それまで疑いの目で男性を見ていたビアンカが突然大きな声で男性の意見に賛同しました。
 その瞳に浮かぶものは、そう。尊敬。
 「そうさっ!胸の大きさなんて二の次どころか三、四の五の次さっ!むしろ個人的には胸は小さい方が・・・いやいやそれより全体的に小さい方が・・・・げふんげふん」
 なにやら男性の発言からほのかに犯罪臭が漂い始めましたが、ビアンカの表情に変化はありません。もう完全に精神を汚染されています。
 このまま放っておいたらビアンカが新興宗教なんかよりずっと厄介なものに巻き込まれかねませんので、ハンナベルとエアリィが早々に手を打ちます。
 「エアリィ、やっておしまい」
 「当然じゃ」
 相変わらず犯罪スレスレの発言を続ける男性の元へ、つかつかとエアリィは近づきます。
 「おい、・・・おい、お主」
 エアリィが声を掛けますが、男性はなかなか気付きません。
 「・・・いやぁそれにしてもここは可愛い子がいっぱいいておじさん毎日楽しくて仕方がないなぁ!!・・・あ!どうしたのエアリィちゃん!おじさんに何か用かな!?」
 エアリィに服の裾を引っ張られてやっと男性はエアリィの存在に気がつきます。
 そしてエアリィはどこか凶悪な笑みを浮かべ、
 「ああ、用だとも・・・・・・白刃蹴ッ!!」
 後ろから見ていたハンナベルからは、男性の頭が一瞬消えたように見えました。
 続いて身体も消えました。
 どこか遠くで、柔らかくて重たいものが壁に叩き付けられるちょっと生々しい音が響きました。続いて「なんだァッ!?」とか、「おっさんが吹っ飛んできたぞッ!?」なんていう声が聞こえます。
 最後にエアリィが一言。
 「つまらぬモノを蹴ってしもうた」

 * * *

 「さて、ビアンカ!いつまでぼおっとしてるんだい?」
 ハンナベルが立ちっぱなしのビアンカに声を掛けます。
 しかしビアンカは声を掛けられている事に気付いていないのか、ぼんやりと立ち尽くしています。
 もしかしてこりゃ完全に洗脳されたか・・・なんて事をハンナベルが思った瞬間、ビアンカが叫びました。
 「そうよッ!!キャンペーンだわッ!!」
 ビアンカの顔を覗き込んでたハンナベルはもちろん、どこか遠い目をしていたエアリィも突然の大声に飛び退きました。
 「な、なにがキャンペーンなんだい・・・?」
 ハンナベルがおそるおそる尋ねます。
 するとビアンカが壮絶なしたり顔で言います。
 「“のーもぁ・貧乳”運動です」
 「のーもぁ・ひんにゅううんどう?」
 思わずオウム返ししてしまうハンナベル。
 「いいですか、“のーもぁ・貧乳”運動とはですね・・・・・・」

 説明しよう!“のーもぁ・貧乳”運動とは、銀鱗亭防衛隊兼接客班所属のビアンカ・ベーレントが、その場の勢いと若干の精神汚染の結果に見切り発車でスタートしたキャンペーンである!

   その理念とは・・・
 「人の事を貧乳呼ばわりするのはもう許さん。女性の美しさは胸の大きさで決まるのではない。虐げられてきた民よ、今こそ立ち上がれ!」

   というなんだか始めた当人も何なんだかよく解りません的なちょっとアレな企画である。
 ただしここで言いたい事は明白である。
 そう。
 「小さくたってええじゃないか」
 という事である。
 この理念に賛同してくれる同士が現れん事を・・・



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