「明月・後編@」 作:匿名希望 「『合いの気』の祖は」 「ええいしつこい!!」 早三日目にしてうんちくを語ることさえ禁じられた。 「殺生でござる……」 「うじうじせずにはよやらんか!」 昨夜の鱗編も見せないその態度に溜息を吐きつつ始める。 「今日から技の術理に移るでござる」 娘はやれやれと息を吐いた。 「ようやくか」 「普通ここまで来るのにかなりかかるでござるが……まあいいでござる。ここからはほぼ組手をしながら教えていくでござる」 そう言い娘と向かい合う。 「まず昨日教えた立ち方をするでござる」 「ふむ」 それに娘は脱力に似た感じで立つ。 その立ち方には無駄な力は無く、体の芯を見事に捉えている。 「それが基本でござる。次に」 するりと近づくと娘の手を取る。 「『人を水車と見よ。芯は軸で、気は水で、体は車輪と同じ』」 そして軽く力を入れて動かすと。 「おおっ!?」 くるりと、娘の体が自ら前転しだし宙へと舞う。 「『軸は軸、水は間、車輪は円へと通じ。なれば軸を捉え、水を加えれば、車輪が回る』」 その小さな体を受け止め抱きかかえる。 「『気と気を合わせ、間と間を合わせ、気と間を合わせて――これ合気と言う』……この言葉と感覚を意識しながら稽古するでござる」 「……」 なにやら腕の中で娘がじぃと見つめてくるので、首を傾げた。 「どうしたでござるか?」 それに娘は我に返ったように赤い顔になる。 「ええいっ! 顔が近いわっ!!」 「おぶっ!?」 また殴られた。 手本となる様にできるだけゆっくりと、そして柔らかく投げ、その後に覚えさせるために同じように投げさせる。 「余分な力はいらないでござるよー」 「わかっておるわ!」 ただひたすらに体へと染み込ませる。 くる、すたん……くる、すたん……と何度も……何度も……。 「てや」 その甲斐あってか徐々にだが、娘がコツを掴んでくるのを実感し。 そして。 「――」 触れた手から微かな気が加えられ、それに体を流れる気が合わせられる。気は流動し体の芯を中心に回り、浮き上がらせる。 「おおっ」 ふわりと体が浮き上がるのを感じ。 受け身すら忘れて、バスンと地へと叩きつけられた。 「ど、どうしたのじゃ!?」 「……」 急に受け身を止めたことに慌てる娘を見て、それがおかしかった。 「かかか! 見事でござる!!」 すくりと立ち上がりながら心よりの賞賛を送る。 「な、なんじゃっ、突然言い出しおって」 そう言いながら娘も満更ではなさそうで。 日はまだ、頂点にも至っていなかった。 「こっちじゃ」 跳ねるように進む娘を追い、城跡の裏へと進んでいく。 「どこに行くんでござるか」 道こそ険しくはないが鬱蒼した植物が生え、娘の往く細い道さえも言われねば気が付かないだろう。 「すぐじゃ」 娘は振り返ることなくひょいひょいと進んでいき。 やがて鬱蒼とした植物の先、開けた場所へとたどり着いた。 「ここじゃ!」 「……これは……」 娘の立つのは小さな平地。 周囲は木々や植物で囲われているが、上が開けているので日光が照らし上げる。 そこには大きな瓶が数個と、またこれも大きな木箱があり。 その傍にあるのは。 「……畑で、ござるか」 ただ土をひっくり返しただけで雑草も生え放題だが、自生ではない葉が均等に生えていた。 そんな粗末な畑の傍を娘は通ると木箱へと手をかける。 「ちと待っておれ」 木箱の蓋を外すと中へと手を突っ込み、そこから赤い物を二つ取り出してきて。 「ほれ」 そのうち一本投げを寄越され受け取るとそれは。 「人参でござる」 すでに洗ってあるそれは少々小さいが確かに人参であった。 となると畑に植えてあるのも全て人参なのだろう。 「馳走する」 娘は笑いながら勧める。 「いいでござるか?」 聞き返すと娘はうんと頷いた。 「では、いただくでござる」 一口。 土臭い香りが一瞬した後、固い身を噛むごとにほのかな甘みが口の中に広がっていく。 「美味いでござる」 嘘偽り無い思いを口にすると、娘は我がことのように喜んだ。 「そうじゃろう!」 そして自身もしゃくしゃくと人参を食べ始め、小さな口で人参を齧る姿は愛らしい。 その姿を眺めていると、ふと目端にまばゆい光がかかった。 「む」 光は木箱の内からちらちらと漏れており、気になって覗いてみると。 「――っ」 息を呑んだ。 木箱には複数の人参の下に、詰みあがった大判や上質な織物などが大量に敷き詰めらていた。 「これ……は……」 見ていると娘が横から顔を出してきた。 「これかえ? 元々ここにあったものじゃ。重いゆえにわざわざ箱から出すのも億劫でな。そのままにしておる」 けろりと言う娘の言葉を聞きながら納得した。 これは俗にいう隠し財産や埋蔵金の部類であろう。恐らく城の者が墜ちる前に隠したもので、それが今日に至ってもここにあるのだと。 この分であると、近くの瓶の中身も似たような物だろう。 娘に向き直る。 「……このことはあまり他言せぬ方が良いでござる」 すでに世俗との縁を切った己ならともかく、過剰な金気は人の気を狂わせる。 人の気の狂いは、禍を呼びかねない。 それに娘はあっけらかんとして。 「他言もなにも、この場を教えたのは後にも先にもお主だけじゃ」 「それならいいでござるが――」 禍を招かぬように、勤めて頭から出すことにした。 次の日から時は急流のように流れていった。 「いかな場所からでも触れし部分から気の流れを読む。いつも相手の手を捉えれるとは限らぬでござる」 「だからと言ってわざわざ腰を掴むな!」 「ぐべっ!?」」 昼は稽古をつけ。 「な、なんじゃこの酷い臭いは!?」 「高麗人参と申す妙薬でござる。一口どうでござるか?」 「こ、こんな臭いものが人参……しゃく……しゃくしゃく……ふむ……しゃくしゃくしゃくしゃくっ!!」 「ひ、一口でござるよっ! 高いのでござるから!!」 夜は語らい。 「たとえ相手が武器を持っていても基本は変わらないでござる。ただし、相手は手より広い間合いと刃を持っていることに気を付けるでござる」 「ふむふむ」 「それで今日はこの枝を刀に見立てて相手するでござる」 「あいわかった。くるのじゃ!」 「ほい」 「きゃんっ!」 「ほいほい」 「きゃんっ! ひんっ! って、なぜ尻ばかり狙う!!」 「あ、ついでござる」 「ちぇりゃあッ!」 「ぎゃーっ! でござるぅう!?」 次第に双方の距離は縮まり。 「ここに来るまで様々な土地を歩み、様々なものに出会ったでござる」 「どんな旅だったのかえ?」 「東で万を生きる狐と酒盛りをし、中央で天狗や鬼を相手に呑み比べをし、西で土蜘蛛なるものと八首の大蛇と酒宴を」 「どこの大法螺付きじゃっ!!」 「いや本当でござるよ? 特に鬼と呑んでいる時に武士の集団が呑み比べに参加してきて大騒ぎになったでござる。そして酔い潰れてしまった鬼を武士たちが襲い首を」 「ええい! 信じられるか!!」 日は瞬く間に過ぎていく。 そして、山に入りすでに七日目の夜だった。 その日も滝の傍でたき火をしながら娘を待つのが日課になっていた。 空を見れば月は無く、星がやけにぎらぎらと瞬く。 「遅いでござるな」 いつもならばすでに来ているはずなのだが。 そういう日もある。 そう思い気長に待つことにし、虫の音を聞きながらたき火をかき混ぜていると。 ―― 突如、虫の音が途絶えた。 それと同時にざわざわと寒気の様な波が森全体を駆け抜けていく。 「……何が」 突風が吹いた。 たき火が大きく揺れ火の粉が散り、思わず腕で目を庇う。 風が止んだ後。 「……っ」 目の前に娘がいた。 声が出ない。 突然目の前に娘が現れたことではなく、娘自身がその原因である。 「今宵は良き夜じゃのう」 静かでどこか気品が漂う穏やか表情。 だがその瞳は紅く紅く、紅蓮を飴に溶かしたような甘いものを秘める。 その目が覗き見てくる。 「良き夜、そう思わんかの?」 「……っ……っ」 瞳に囚われる。紅い瞳が目からじわりと広がり、喉が思うように動かない。 娘は口元を袖で隠すところころと笑う。 「今宵の僧侶殿は無口じゃのう」 その動作一つ一つが優雅かつ艶めかしい。 どれ一つとも見落とさぬとばかりに己が目は離れない。 それを知ってか知らずか、娘はするりと頬に手を這わした。 触れた頬が痺れた。 「それで僧侶殿……一つ頼み申したいことがあるのじゃ」 こぼれ出る声は粘つく蜂蜜のごとく耳に纏わりつく。 そしてその言葉は、耳の奥へと這いずり犯した。 「――この身の火照りを鎮めてくれぬかえ」 しゅるりと帯がほどけ、着物の前が肌蹴た。 「――」 目が潰れたと思った。 飛び込んできたのは白。 昔語りの鶴の織物さえ及ばぬであろう白は、まばゆく目に焼き付く。 一度見たことはあるとはいえ何度何十何百何千と、たとえ億を超えようとも見飽きることはありえないだろう。 「視線が熱うございます」 そう言いながら娘は体を隠すことをしない。 「さあ」 娘が両肩を掴んできて、覗きこんでくる。 肩に触れた手は燃えるように熱く。 「この熱を、この身を、貪ってくだされ――」 揺らめく体の白と、染み渡る瞳の紅が体を、心を、魂を染め上げ――手が動いた。 その手は娘の手を捉え。 「ああ……」 娘の顔が歓喜に甘く蕩け、その瞳の陰に何かが見えた。 「――喝ッ!!」 娘の手を払い、合掌と共に一喝した。 「っ!?」 目を見開く娘を前に、目を閉じ口が自然と動く。 「『人を水車と見よ――』」 それは本来秘伝。 「『芯は軸で、気は水で、体は車輪と同じ』」 己が身の内へと目を向ければ、侵し流れる異物が体を蝕んでいるのが見えた。 「『軸は軸、水は間、車輪は円へと通じ。なれば軸を捉え、水を加えれば、車輪が回る』」 息吹と共に吸い込んだ息が気を賦活させ、それを巡廻させることで異物を押し流し、気を体中に充足させる。 「――」 再び目を開けた時、目の前には屈辱に顔を染めた娘がいる。 「……おのれ、主は儂の抱擁を受け取らんと言うのかっ!!」 「残念ながら」 先とは豹変した娘に動じることなく言う。 「共に過ごした娘ならともかく、『見知らぬ女』を抱くほど拙僧は色に狂っておらぬ」 「っ」 それに娘、いや女は息を呑む。 そっと頬へと触れ、そこから気の流れを読む。 「む」 すると体の中に、芯が二つ存在し、片方が片方の動きを阻害し気の流れが不順になっているのが感じ取れた。 「女よ。その体を娘に返してもらうぞ」 気を尖らせる。 それに女は慌てて口を開き。 「待てっ!」 制止を聞かぬまま、トンと二本の指で胸の中心を突いた。 「――か」 女は目を見開き数度体を痙攣させ――力なく崩れ落ちる。 その体を受け止め、収まった腕の中を見ると。 「すー……すー……」 『娘』は小さな寝息を立てていた。 安心すると同時に、どっと力が抜ける。 「……ふう」 後から後から汗が吹き出し、体中を倦怠感が襲う。 気と気を合わせ制するのが『合いの気』であるが、侵された気を押し流し、他者の気を通じて“芯”を制するなど領分を超えている。 ふと耳を澄ませば虫の音が戻っていた。 「よい、しょ」 娘の体を抱え直すと、すっぽりと足の間に収まった。 起こすのも忍びなく、自身も疲れていた。 消えかけていたたき火の薪をかき除くと、火が消え辺りは暗くなる。 娘の据わりを何度か直していると、やがて目蓋が重くなり。 「ふああ……」 大きなあくびと共に意識が遠のいていく。 「ん、むにゃ……にん、じん……」 可愛らしい声を聞きながら眠りの淵へと落ちていった。 目次へ戻る |