「狐狩り」   作:匿名希望





――無尾捕まった
  一尾は還った――
――二尾は眠った
  三尾は堕ちた――
――四尾は縮んだ
  五尾裏切った――
――六尾は篭った
  七尾は死んだ――
――八尾は戻った
  九尾は消えた――

曇りゆく空の下、その声は静かに響き渡った。
山の中に切り開かれた場所、そこに建つは神聖なる社。
沓掛と名指された神社の敷地にある人影は三つ。
一人は年の頃は20そこらか、巫女装束を身に纏い細身ながらも鉄のような意志を示す姿勢。
赤味かかった黄色の髪を結い流し、整った顔は可愛らしさよりも凛々しさを際立たせている。
そしてなにより目立つのが頭部に生える三角の耳と、臀部辺りから伸びる四本の尻尾。
四尾の仙狐にしてこの神社の土地神として祭られる待宵である。
「それはどういうことですっ!」
普段物静かな待宵が声を張り上げる人影は二つ。
年の頃は7、8か。
赤い燃えるような髪をおかっぱで整え、平安の華族を思わせるような妙に古めかしい服を着ている。
さらに顔を隠すように付けられた狐のお面で童子とも童女とも判別できない。
それだけではなく、二人はまるで合わせ鏡のようにまったく同じ容姿、格好、不自然なほどの一致。
「三尾が……どうなって……」
二人はまったく同じ動作で待宵へと言葉を返す。
「「三尾は堕ちた――」」
流れてくるのは無情なる言葉。
待宵はそこまで聞いて信じられないとばかりに反論した。
「確かに私は神気の低下で縮みはしましたっ! だが、そんなことは受けいれられません!」
胸元を押える待宵に全盛期ほどの力はない。信仰の低下か徐々に衰えつつある力は外見が対抗することに現れている。
それに対して狐の面は互いを見合わせた。
「知らない。あっちたちはただ」
「郷のご主人から言葉を」
「郷の外の縁ある仙弧に」
「届けているだけ」
無垢な二人に待宵は口を詰まらせる。
「ですがっ」
言い縋ろうとする待宵を無視し二人は互いに手を繋ぐ。
「ここにはもう伝えた」
「だから次に行こう」
その場で円を描くように回り出した。
「――無尾捕まった」
「一尾は還った――」
「――二尾は眠った」
「三尾は堕ちた――」
「――四尾は縮んだ」
遊戯のようにくるくると回りながら、二人の周りに木枯らしが舞い集まり。
「――」
遠く声を残して二人の童子の姿は消えていた。
舞い上がった木枯らしが落ちるのを眺めながら待宵は動悸の激しい胸を上から強く押える。
「そんな……三尾の……綾嵩殿が、堕ちるなど……」
待宵の脳裏に浮かぶは黄赤色の髪と尾を持った姿。
綾嵩ノ君。信仰地こそ違えど同じ仙狐にして土地神。だが品格、霊格、信仰度どれを取っても待宵の上を行く存在であった。
なにがあったのか詳しいことはあの使いの者たちは語らなかったが。
「……我が身はここを離れること敵わぬ身。どうかただの虚言であるように」
そんな時だった。
脳内でざりざりと何かが抉じ開けられる音が反響する。
ピクリと耳が動く。
「この感じは、結界が……破られた?」
信じられないとばかりに言葉が洩れた。
結界はこの沓掛神社のご神木を中心として種正全体を覆い招かざる者、害する意思を持つ者を拒絶し、この結界に関係する黒兎が種正に在る限りその力は強大となる。
たとえ全盛期の待宵であったとしても破るには多大な霊力を引き換えにするだろう。
黒兎が種正を出たということは聞いておらず、その存在は感じ取れる。
それでも結界が無理やり開かれたことを待宵は理解した。
「人に害を成す前にこちらから出向きますか……」
社殿の扉を開け放ち、そこに立て掛けてある矢筒を背負い、弓――雷上動を手に取る。
弦をかけると、その張り具合を確かめながら。
「でも、その場合仕留め切れるか」
僅かな躊躇。
年々衰える霊力のおかげか、今では神社の敷地を出るだけでその身は悲鳴を上げる。
さすがに消えることは無いがそれでもかなりの疲労を伴う。
だが、その躊躇は無用となった。
「……? こちらへ……くる?」
ここにいても感じ取れるほど禍々しいモノが神社の方向へと一直線に向かってくる。
そして待宵が社殿から弓を手に出てきた所で、果たしてそれはいた。
「――」
一番に目に入ったのは見た目鮮やかな黄赤色。
まるで滝を思わせる地面まで垂れ流れる黄赤色の髪、同じだが幾分か意匠の凝らされた巫女装束、装束からのぞく肢体は細やかかつ適度な丸みを帯びる。
その容貌は伏せられた瞳、筋の通った鼻、涼やかな口元と相成り不思議な慈愛を感じさせた。
そしてなにより頭にある三角の耳と、腰から伸びる髪と同じ黄赤色の三本の尾。
待宵が目を見開く。
「な、なぜ……あなたが……」
動揺を顕にする待宵の前で彼女は首を傾げ、それに合わせてしゃらりと髪が流れ。
「あらあら? 待宵さんわたくしのことを忘れたのかしら?」
「……綾嵩……殿っ!」
搾り出すように名を告げると彼女――綾嵩は口元を笑みへと歪める。
「あら覚えててくれたんですね」
笑いかけてくる綾高に待宵は戸惑っていた。
綾嵩の姿、様子は以前に会った時と寸分の違いもない。先ほどの使者の堕ちたということが信じられないぐらい。
綾嵩は仙狐であると同時に遠く山を収める土地神でもあったはず。土地神は容易に自身の信仰地を離れることはできない。信仰地を離れるということは自身の喪失にも関わるから。
だが、現に綾嵩はここにいて、なにより……周囲を満たし尽くすような禍々しい空気の中心は目の前にあった。
「……」
手の中の雷上動を待宵は握りなおす。
張り詰める緊張の中、綾嵩は我知らずとばかりについと宙を仰いだ。

「ん……ここは寒いですね」

開始は突然だった。
綾嵩が呟くと同時に三尾が伸びる。
「ふっ!」
本能が警鐘を鳴らし全力で跳び下がった。
――ジャボッ!
立っていた地面を石畳ごと尾が削り飛ばす。
黄赤色の尾は石畳をまるで豆腐のように削るに留まらず、擦れた箇所から炎が上がる。
「綾嵩殿!! 一体何を――」
後ろに滑りながら着地した待宵は問い質そうとして言葉を切らざるえなかった。
それぞれ地面や樹木などを削り炎を纏った尾がしゅるしゅると器用に渦巻き、炎がその中心へと集められていく。
狐火。本来は霊狐や妖弧などが道標や警告などで小さな火を灯す比較的下級の術であるが。
「何って? 暖かくするだけですけど?」
邪気無く問い返す綾嵩の傍では、三つの火球が轟々と燃え盛る。
討つべきか判断に窮する待宵を前にして、綾嵩はぽんと手を合わせ。
「ああ、ついでに待宵さんを食べるのでした」
「――っ!!」
咄嗟に矢を抜き弓を引くのと、火球が飛び出すのは同時だった。
射られた矢は風を裂く音を連れて火球へと突き刺さり弾ける。
二人の中心で焼け焦げた矢と火の粉が落ちる中、待宵は再び矢を番えながら綾嵩を見据えた。
「綾嵩殿……複数の社を持ち、信仰も厚く、霊狐としての格も全てのおいてあなたは高かった……」
もはや綾嵩が堕ちたことは信じざる得ない。だが、それでも待宵は聞きたかった。
「あなたが……なぜこのようになったのですっ!!」
はたしてその問いに綾高は首を傾げると、伏せていた目を開く。
「……社? ……信仰? 霊狐の……格?」
ぼんやりとした口調。
綾嵩はふわふわと視線を宙に彷徨わせ、どこか遠い場所を見通す。
「……綾嵩殿っ!」
「待宵……さん……」
その視線が待宵へと向けられ。
「――ありませんよ?」
瞳は濁り光の一切が無かった。
「……社も……信仰も、霊狐の格なんて……全てありませんよ?」
「っ……ぇ……」
「昔は山に人が沢山いて、わたくしの山は炭鉱で皆さん信仰して森へ踏み入らなくて、それでわたくしも嬉しくて皆さんを見守ろうと思って、でも段々石炭が取れなくなってきて人は森を伐採し始めて警告したけど皆さん苦しいのを知っているからしょうがないから我慢しててでもどんどんどんどんどんどんみんな森を切り開いてさすがに駄目だと思って皆さんを止めようと思ったら大雨が降って降って山が崩れてたくさんたくさん家が人が呑まれてわたくし頑張って頑張って少しでも助けようと頑張りましたのにそれを見た皆さん祟りだって狐の祟りだってわたくしを責め立てて残った皆さんたちが社に詰め掛けて……あ、あぁぁぁあああ……」
空を仰ぎ顔を覆い綾嵩は悲痛な叫びを上げる。
「やめ、やめて……そこには助け出した人たちが……いや……いや、いやいやいやいやいや、いやぁぁあああああああっっ!!
――ここで社も信仰も失ってしまいました」
そして何事もなかったかのように綾嵩は首を戻すと、その頬には一筋涙の後があった。
内容の悲痛さに待宵が息を呑む中、綾嵩は慈愛の笑みを浮かべる。
「でももう悲しくはありませんよ? だって皆さんは必死で、わたくしはそんなみなさんが大好きでしたから」
やがてその笑みが。
「そして大好きだからこそ、皆さん“全員平等”にしてあげました」
「びょう……どう?」
どこか欠け落ちてくる。
「はい、燃え盛る社殿から熱い、苦しいって叫びが聞こえてくるんですよ。だから苦しみは分かち合わないといけないでしょう?」
極当たり前に言う言葉がどこか異質なものへと変わっていく。
「――外で火を見て笑ってた人を燃やした」
尾が伸びると近くの木に巻き付いた。
「そうしたら熱い熱いって叫びながらその人は死にました」
巻きついた尾が表面を擦り始める。
「別の人を燃やすと苦しい苦しいと叫びながら死にました」
ちりちりと火の粉が擦れた部分から舞い上がった。
「次の人も次の人もみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな――燃やしました。これでもうわたくしは霊狐としての格を失いました」
やがて火の粉は種火となり、尾と木の間に赤い炎が上がる。
「社も、信仰も、霊狐の格も何もかも無くしたのはいいのですけど……途切れた信仰のせいで霊力が足りなくて酷くお腹が空いてしまって」
炎は木を巻き込み黄赤の尾を包み込み。
「だから待宵さん――霊力ごと食べられてください」
炎を纏った三本の尾が鎌首を上げる。
待宵は横へ跳んだ。
――シュボッ!
その空間を炎尾が貫くように通過する。
「――その考えは……改まらないのですか!!」
休む間もなく待宵が走り出すと、その後ろを二本目の炎尾が叩く。
「お腹が減って減ってしょうがないの。七尾を食べても駄目、まだまだまだまだ足りない。だったら、四尾のあなたなら?」
  七尾は死んだ――
「綾嵩殿ぉぉぉおおおっっ!!」
向かってくる尾を躱しながら待宵は矢を三本抜き番えた。
――ビシュ!!
一挙に射たれた矢は一直線に綾嵩へと向かうが、三本目の炎尾が纏めて受け矢は燃え落ちる。
咄嗟に屈むとその頭上をなぎ払われ、炎が掠め僅かに髪が焦げた。
起き上がり再び走りながら待宵は冷静に自身と相手を見据える。
(やっかいなのは炎ではなく伸縮自在の尾。たとえ三本でもその力は耐えられるものではありません)
社殿の一部を抉り焦がしながら迫る尾へ、走りながらも次々と矢を番え射った。
(残りの矢は十二、十一、十……)
時折綾嵩にも矢を射るが常駐する尾がそれを阻み、射たれた矢の尽くは突き立つことなく弾かれ、焼け落ちる。
「もう、逃げないでください」
綾嵩を守る炎尾が宙を薙ぐように動くと燃え盛る炎が十数の火球となり浮かぶ。
(訂正します。炎もやっかい)
待宵は足を止めると向き直り四本もの矢を持ち弓に番えた。
再び炎尾が薙ぐと火球が弾かれるように迫りくる。
「――!」
放たれた矢の一本一本がほとんどの火球を貫き消し飛ばすが、消しきれなかった火球が待宵の体を掠めた。
――ジュ
「ぐっ!!」
焼け付く痛みによろけた所に左右から炎尾が襲い掛かり、転がるようにして躱して代わりに背後の賽銭箱が砕かれる。
ばらばらと降り落ちる賽銭を身に浴び、傷を庇いながらもその場を離れた。
綾嵩はそんな待宵を見て眉をひそめる。
「なんでそんなに頑張るのです?」
様子を見るようにゆらゆらと揺れる尾を撫でつけながら綾嵩は口を開いた。
三本の炎尾が渦を巻くように動いて次々と火球を作り出し、その数は二十を超える。
「痛いでしょう? 熱いでしょう? 苦しいでしょう?」
良く見れば周囲には焼け焦げた跡がめぐらされ、火事になってないのが不思議なぐらい。
それを眺めながら待宵は手探りで矢筒を確かめた。
(先のことで何本か折れてますね……使えるのは……三本だけ……)
――ちゃりん
軽く身体を振ると引っかかっていたのか数個ほど賽銭が落ちる。
「もう痛がらなくてもいい、もう熱がらなくてもいい、苦しまなくてもいい、あなたも皆さんと同じ場所へと送って差し上げますから――素直に食べられてください」
例え歪んでいたとしても心底相手を思ってのに言葉。
だがそれに待宵は軽く息を吐くと。
「お断りします」
「え?」
なぜと首を傾げる綾嵩の前で痛む腕を無視し矢を三本抜き出し、弓を悠々と引き絞る。
「私は例え痛くても、熱くても、苦しくても、たとえ消えようとも……私が私を捨てることは絶対にしません。それがこの地へ根付いた神の、私の信念ですから」
その言葉に綾嵩は目を見開き、失った何かを見出し。
「――っぁぁぁぁああああああああっっ!!」
三尾が振られ、数十の火球が待宵へと襲い掛かった。
「――――っ!!」
弓を番えたまま待宵は火球の群へと走り出す。
足を掠め萎えそうになるのを歯を食いしばり、腕をかすめ手放しそうになる弓を握り締め、頬を掠める火球に目を瞑ることを許さない。
はじけた地面の欠片を浴びながら奇跡のような道筋をひた走り、火球の弾幕を抜けた先では炎を纏う三本の炎尾が待ち構えていた。
それはすでに避けられる体勢ではなく――離さず引き絞り続けていた矢を射った。
三本の矢はそれぞれ大きく離れて綾嵩を狙うように飛び。
「無駄です」
二尾がそれを叩き落す。
「これでもう矢は」
ありません、と綾嵩がそう言おうとした時、眼前に迫るものを見た。
「まさかまだ!?」
残りの一本が強引に割り込みそれを地面へと跳ね飛ばした。
果たしてそれは。
「……賽銭?」
溶けかけた五円であった。
そして綾嵩が顔を上げた時、無防備になった綾嵩の前に待宵がいて。

「さようなら綾嵩殿」
「――あ」

走る勢いを殺すことなく弓の先端を突き出し、弓は寸分たがわず心臓を突き破る。
燃える炎尾がその炎を消し横たわった。
綾嵩は突き刺さる弓を見て、待宵を見る。
待宵はただ唇を食いしばり、呟いた。
「……すいません」
呟く声に綾嵩は笑みを浮かべ。
「――ああ、わたくしが皆の所へ行けばよかったのですね」
その姿が薄れ、最後まで笑みを浮かべたまま……消えていった。
「…………」
あとに残るは焼け焦げ荒らされた境内、そして傷ついた狐。
  三尾は堕ちた――
脳裏にその言葉が再生され、待宵は宙を仰いだ。
衰えていく我が身の先を思い、ただただ宙を仰いだ。


それは後の幽異界送りのほんの少し前であった。



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