「籠の外の籠の鳥」   作:匿名希望




1870-1885-1920
とある男を愛した鬼。
とある鬼を愛した男。
愛した男の愛しい妹。

鬼は人に恐れられて当然で、住み着いた山を荒らし、村を襲い、人を食うのが自然の理。
例え鬼が永い時を生き、山を村を人を害することに飽いだとしても、それは絶対だった。
10年に一度差し出される娘を弄び食うことでその欲求を抑えて、ひたすらに眠る。鬼から言い出したことではなく、いつの間にか出来上がった決まりごとだった。
そして差し出されるのは決まって娘で、みな一様に恐怖に固まる。
だからこそ鬼は、目の前にいるのが少年で、さらに恐れないことが不思議で、思わず観察してしまった。
そして少年は物怖じせずに鬼に話しかける。
山を荒らさないでくれ、村を襲わないでくれ、人を食わないでくれ。
どれも鬼の存在意義を根本から捻じ曲げるもので、容易に聞き入れられるものではない。
だが少年に興味を持った鬼は思わず言った。
童よその約束を呑む代わりにお前は何を差し出すのだ、と。
少年はその言葉に少し考えた後。
ならば俺の全てをお前に差し出そう。
そう応えた。
少年は当然、鬼が申し出を受け入れても跳ね除けても己は食われるものだと思っていた。
鬼は楽しそうにカカと笑うと、“その低い背で”を見上げてくる。
「ならば、契約を成そう。汝が身を我が物とする代償にその他のものへ我は害を一切成さぬことをここに誓おう」
いきなりのことに驚く少年に鬼は口端を広げる。
「さあ我に名を持て、名を持って縛りそれにより契約は完成する」
少年は初めは戸惑ったがすぐに理解を示し、精一杯考えた後に呟いた。
「アオメ……空のように青くて澄んだ目だからアオメ」
その名を聞き、鬼は……アオメは着古した着物の振袖を翻し少年の前に降り立った。
「アオメ! 気に入った! 今から我が名はアオメ! そして今から童は我がものだ!」
「童じゃない! 僕は康太郎だ!」
「我にとっては人はみな童よ!」
カカと笑うアオメと憮然とする康太郎の出会いはここから始まった。


康太郎には親はいなかった。
なにも死に別れたとかではなく、小さい時に二人ともそれぞれ浮気相手と逃げてしまっただけだ。
だが、康太郎は一人ではなかった。
康太郎には一人の妹がいた。
妹の名前はチナ。
見た目は可愛いのだが、そんな両親がいたおかげか性格は暗く人見知りで兄の康太郎にいつもべったりで、村に友達など一人もいなかった。
村の中で孤独なチナを康太郎は可愛がった。
食い扶持を稼ぐ為に遊びもせず大人に混じり仕事をする最中にも妹を気にかけた。
そんな二人の兄妹は大変ながらも幸せだったのだろう。
康太郎とチナのいる村には古い風習がある。
10年に一度、村の娘一人を山の鬼に差し出すというものであった。
当然のことながら、山へ行った娘は帰ってくることはなく。差し出さなかった年は村中が荒らされる。誰もが行きたくない。
だからこそ、それは自然にチナへと押し付けられた。
いらない子、暗い子、気味の悪い子、親に捨てられた子。
つまりみなが納得する落としどころがチナだったのだ。
もちろん康太郎は反発したが、所詮は子供の言う事、大人は誰も聞き入れてくれるはずもない。
半強制的に鬼への差し出すためにチナと康太郎は引き離された。
そして鬼に受け渡す前日になり、康太郎は先に鬼へ会いに行き、そしてアオメと出会うこととなった。


村は騒然となった。
山に送ったはずのチナが翌日に山を下りてきたこと。
それを出迎えた康太郎の傍に見慣れぬ少女がいたことに。
初めはチナが鬼から逃げ出したのかと騒ぎ罵倒していたが。村に何も起きず、更に青い目の少女が睨むと誰もが心の底から恐怖が湧き上がり誰もが口を閉じていった。
少女が不自然ながらも受け入れられていく中、チナだけは不機嫌であった。
突如現れた少女。それはなにかと康太郎に親しげに話しかけてくっつく。
子供の独占欲とは違う感情。それは妹としてではなく、女のそれである。
到底受け入れられるわけもなく、チナはそれを理解してなお康太郎の傍にいることで抑えていた。
鬼に差し出されることが決定した時は、ようやく諦められるという気持ちもあったのだ。
だが、鬼はおらず拍子抜けしていたところに迎えに来た康太郎の傍には見知らぬ少女。
アオメと少女が厚顔不敵に名乗ったことは許しても、これから共に暮らすと言い出したことには憤慨したのだ。
そして康太郎が仕事に行っている間はアオメとチナは共に過ごすこととなる。
初めこそは物珍しそうに周囲を歩き回るアオメを、チナは無視していた。
老人然とした口調と鷹揚な態度のアオメは、どこか子供染みた危なっかしさと好奇心を持ちチナへと接する。
チナは初めは無視していた、だが次に口を出し、そして気がつけばまるで姉妹のように言い争う仲になっていた。
それを見て康太郎は安心していた。
アオメが村を人を妹を襲わないことを、妹がはじめて自分以外に興味を示したことを。
チナは複雑だった。
兄がアオメをつれてきたことが、そして敵対するはずだったアオメが放って置けないことが。
アオメは楽しかった。
ただの鬼であった頃では味わえなかった人の営みの新鮮さに、康太郎とその妹のチナに対して募る愛しさに。
三人の思いは違っていても、かみ合っていたからこそ幸せだった。
だからこそ、その事件が起きたのだろう。


それは他愛の無い遊びだった。
子供の頃に誰もがする単純な遊び。
だが一人ではできない遊び。
「鬼ごっこをしましょ!」
チナがそう言い出した時、アオメは顔をしかめた。
ただの遊びであるそれは、鬼であるアオメからすると意味合いが違ってくる。
アオメが困っていると判ると、チナは密かにほくそ笑む。
いくら親しくなろうとも割り切れない感情がそれを刺激したのだ。
だからこそ、チナはそれをせがんだ。
兄の話ではアオメは鬼だと言う。アオメ本人も言っていたが正直信じられなかった。
だが、最近また兄と親しくなってきたアオメが嫌がるなら、嫌いになりきれないアオメへのささやかな復讐となる。
「わたしが鬼ね!」
そしてアオメと、鬼とする鬼ごっこ。
アオメはチナが鬼ならまだいいと感じた。自分が鬼をすれば、自らの契約の枠を超えてしまいそうで。
大人げないが、決して捕まらないと誓った。
そしてそれは起こる。
それは後に大結界異変と言われるものであった。
力なき妖を幽界へと弾き出す大きな結界。
アオメは力はあった。数百年前より近隣を脅かし人の畏れや信仰を持っていた。そもそも元より鬼、多少弱っていても存在自体が他の妖と一線を凌駕している。
そして結界は人には作用しない。だから問題は無かったはず……だった。
だが、それは起こった。
鬼ごっこ。
一人が鬼となり、相手を追いかける(襲う)幼稚な遊び。
追う人が鬼で、逃げる鬼が人で――
逆転の理。
この矛盾は別の意味を孕み、結界が反応した。
「アオメ! お兄ちゃ――」
力なき妖怪。
そもそもそんな力など持たぬ“鬼であるチナ”は容易く、あっけなく幽界へと弾かれていった。
後に残されたのは、アオメただ一人であった。


ある日突然チナとアオメが消えた時、康太郎は戸惑った。
初めは二人になにかあったのでは無いかと心配したが、とある噂を聞いた。
青い目をした少女が、小さな女の子と山に入った後一人で下りてきて、そのままどこぞで消えたという。
康太郎はそれを聞いて信じられず、でも信じるしかなく。
約束は守られなかったのだと、嘆いた。
いつしかアオメが大切な存在になっていた。いつしかアオメが愛おしくなっていた。
そして、だからこそ、ある感情が芽生えていた。
始めて鬼に物怖じしなかった少年は憎しみを覚えた。
それからもう30年あまりがたった。
それは人が感じるにしては長い年月で。
それは鬼が感じるにしては短い年月で。
約30年かけてとある少女を追ったかつての少年は男になっていた。
日本各地を荒らし、様々な追ってのかかっているアオメはこれを逃せば他の者に討たれるのだろう。
だからこそ康太郎は、そうなる前に自らの口でアオメを問いただし、自らの手で討ちたかった。
とある村の外れに追い詰めた康太郎は、無骨になった手に曰くのついた刀を持ち言った。
なぜ、チナを食ったのかと。
アオメは応えない。
ただ笑うだけ。
それが、余計悲しかった。


アオメは探していた。全国津々浦々を巡り、様々な場所から強引に情報を集め。
そして見つけた。
もっとも結界が厚く、もっとも幽界に近い場所を。
そして知った。もっとも幽界が開かれる日を。
世界と幽界を区切る結界という籠。
その中にある強固な籠。
籠の中の籠。
それを知ったアオメはひたすらに準備した。
全国の霊的素質の高い組織へ狙われるように暴れ、とある村を中心に回り巡った。
この日、また幽界と現界が繋がる日。
そして種正と言われる村には、アオメを追って大勢の鬼役がいる。
それはかつての鬼と人とが逆転する遊び。
だから今度はそれを利用して、この種正の結界を使い、これから始まる幽界への妖淘汰の大量の儀式を利用しようとしていた。
大量の鬼を送り込み、その隙に一人の女の子を取り戻すために。
それはあと一歩だった。
全ての準備は終わり、後はただ自分が種正という籠に入り、幽界と現界を繋げる穴を誘導すればいいだけであった。
だが、目の前にいる男が邪魔だった。
契約と言う契りを交わした相手、最も愛おしいと思った相手。
その目が憎悪に悲しみに歪んでいても、己を思っていることに愛しさがなお募る。
だからこそ、これから起こることに巻き込むわけにはいかなかった。
だからこそ、アオメは始めて康太郎へと牙を剥いた。


それは死闘と言えぬ、戦いと言えぬものであった。
康太郎はやはり人で。
アオメはやはり鬼であっただけ。
叩きのめされた康太郎を見て、アオメは何も言わず。
その背を向け、村へと足を向けた。
そして結界へと触れ――
トン、とその胸に一本の矢が刺さる。
目の前には、いつの間にか兎の化生らしき少女と、弓を構える霊狐らしき少女がいた。
アオメは崩れ落ちる。
矢に込められた力は凄まじく、自らの信仰地を長らく離れていたアオメに耐えられるモノではなかったからだ。
「なんとか間に合ったようじゃな」
「あなたの手を借りるのは非常に不愉快です」
「わしの札がなければどうなっておったかわからんのか!」
これほどの結界が張ってある場所だ。
それを守護する者たちぐらいいるだろう。
そこにまで気が回らなかったことに、アオメは己のうかつさを悔いた。
そして鬼は、静かに存在を薄れさせ。
「康太郎……チナ……また、遊ぼうぞ……」
そっと笑った。


かくして妹は消え、鬼は討たれ、復讐すら果たせぬ男が残った。
オチも何もなく、それだけが事実である。
ただ男がどうなったかは、それはわからない。


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